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ようこそ! 倶生山(ぐしょうさん)なごみ庵HPへ!

なごみ庵は2006年に開所した、ちいさな新しいお寺です
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〜行事予定〜
・9月 5日(第1金):長いきの会 14時
・9月12日(第2金):法話会   13時・19時
・8月の写経会はお休みです
・9月19日(第3金):写経会   10時半・14時
・9月23日(火祝):秋彼岸法要  13時
・8月29日(第5金):笑いヨガ  10時半

※いずれの会も1時間ほど、その後茶話会(参加自由)があります。
※いずれの会も参加費500円ほどお願いしています。
 (夜の法話会のみ1000円ほどお願いします)
※お盆・お彼岸・報恩講など法要のご懇志は、お気持ちでお納め下さい。
※宗教・宗派を気にせずおいで下さい。
※初回来場者には腕輪念珠プレゼント
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みすゞ公演in護国寺さま [金子みすゞ]

あの有名な護国寺で、というか正確には隣接する真言宗豊山派宗務所で、「金子みすゞ ひとり舞台」の公演のご縁がありました。今まで各宗派のご縁がありましたが、真言宗はこれが初めてです。

今回は豊山派寺院で運営している幼稚園・保育園の先生向けの講習ですので、観て頂くのは普段と違い、若い先生方です。数年前にも仏教系の幼稚園・保育園の先生向けのご縁がありましたが、やはりこの時期で、夏休み中の研修ということのようです。

盛りだくさんの内容で、午前中は第1講として腰塚勇人(こしづか はやと)氏の講演。元教師で、大けがをしてクビから下が動かなくなってしまった方と聞いておりました。

お芝居の時は早く現地入りするので、腰塚先生の話を聴きに行くと…
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あれ? 立ってお話しをされている??

準備もあるので全ては聞けなかったのですが、懸命のリハビリを経て、奇跡的な回復をされたのだそうです。とは言っても完全に元通りに動けるわけではないようで、歩き出すと少し不自由なご様子でした。
腰塚勇人さんHP http://inochi-jyugyo.com

私たちの出番は午後。第3講として私の法話が40分。第4講としてお芝居。
皆さん「あれ? 第2講は?」と思われましたか?

私もプログラムを見て驚いたのですが、昼食の時間が第2講に充てられています。「食事作法(じきじさほう)」と言って、真言宗僧侶の食事の作法を学ぶようなのですが、お昼休みも講義なんて先生がた大変です。

第3講は私のお話。みすゞさんのことも当然解説しましたが、私が以前から注目している大石順教尼さんが真言宗の尼僧ですので、その方のお話しもしました。けど、あまりご存知の方がなく、知名度はそれほど高くないようです。

第4講はお芝居。会場は真っ暗になりましたので、朝から講義が続いて皆さん眠くならないかな…と心配でした。舞台から会場の様子はほとんど見えませんので、その心配が当たっていたか外れていたか…それは不明です (^_^;) 

2014年8月23日の東京新聞 [その他色々]

先週8月16日に続けて、東京新聞に本多靜芳師の文が掲載されました。
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この時期だからでしょうか。先週は国家権力に考え無しに従うことの危険性が説かれ、今週はもっと直接的に戦争について触れられていました。サブタイトルは「阿修羅の正義」です。興福寺の阿修羅像は深い考えを秘めた少年像として有名ですが、一般的に阿修羅とは戦い争いをやめることが出来ない存在、または状態を指します。


ここから先は私の考えも入ります。戦争とはマンガや映画の世界では「正義と悪」という構図で描かれますが、実際には「正義と正義」がぶつかり合うものです。お互いの利害から生ずる「正義」が、ぶつかり合うのが戦争だということです。でもどちらにも、夢や希望や理想、愛や友情や家族がある人々なのです。

その相手を悪として、自らを善として、そうして戦争への道が作られていくのではないでしょうか。
ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』という本があります。ベトナム戦争の帰還兵、アレン・ネルソン氏の著書です。

この中には、ネルソンさんが兵士になり、教育と訓練を受ける様子が書かれています。それは「敵は人間ではなく悪魔のようなものだ」という教育。そして無感情に、反射的に敵を殺せるようになる訓練です。そしてネルソンさんは、その訓練通りベトナムで人を殺しました。

ある時ネルソンさんは、目の前で若いベトナム人女性が出産する場に遭遇します。それを見たネルソンさんは「相手は悪魔ではない、人間なのだ」と気付き、呪縛から解き放たれました。そして今、反戦の声を上げ続けています。

戦後69年目。本多先生の文に、戦争を考えさせられる夏になりました。

夏まつりin平川町北公園 [その他色々]

なごみ庵の隣に平川町北公園という小さな公園があるのですが、毎年そこで夏まつりと盆踊り大会が行われています。とは言ってもお盆時期なので今までなかなか参加できなかったのですが、今年は2日間しっかりと楽しんできました。
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かき氷を食べるのなんて、何年ぶりでしょうか…
やぐらには大太鼓と、それを叩いて遊ぶ子どもたち。

ちなみに1日目は町内会の模擬店が出て、焼きそばもキュウリ1本漬けもフランクフルト2本セットもビールも、全て100円。かき氷は50円。なんというコストパフォーマンス!!

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盆踊りが始まると、ダンサーの血が騒ぐと坊守(妻)が踊り始めます。実は彼女、長年日本舞踊を習っていて、趣味でダンスもしています。

他に踊りの先生(男性)も来ているのですが、子どもたちは女性の方が親しみやすいのか、坊守の後に子どもたちが連なります。「ハーメルンの笛吹き」のようです。踊ったまま家に帰ったら、ついて来たかな?

私も負けじと、坊守を見て踊ります。不慣れですが、だんだん動きのパターンを覚えてきて気持ちよく踊れるようになりました。手首から先をしなやかに動かすのがポイントのようです。

…と思ったら、しなやかに踊るのは女性の踊り方で、男性は直線的に踊った方が良いのだそうです。2日目が終わってから、坊守が笑いながら「あなたの踊り方、オネエみたいだったわよ」と言いやがりました(怒)。

来年は男らしく踊る所存です!!

2014年8月の法語 [月々の法語]

拝まない者もおがまれている 拝まないときもおがまれている
Even those who do not revere, are held in reverence[ by the Buddha].
Even when we do not revere, we are still held in reverence.
東井 義雄

 今年のカレンダーの法語は様々な念仏者や僧侶の言葉から選ばれており、8月は明治の末に兵庫県に生まれた(正確には京都生まれ)東井 義雄さんの言葉です。本願寺派の僧侶でもあるのですが、どちらかというと教育者としての面が有名です。

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2014年8月のお盆法要 [布教所日記]

7月のお盆法要が思ったより賑やかでしたので、8月は少人数かな…と心配していたら…
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7月よりもお参りの数が増えました (^_^)
改めて、日本人はお盆というものを大切にしてきた歴史があるのだな、と気付かされました。
他宗派の一般的なお盆観(あの世の先祖が帰ってくる期間)と浄土真宗のお盆観(先祖を偲びつつ、自分自身が仏教に出逢っていく)に違いはあります。けれど皆で手を合わせ、お経を読み、また法名用箋に書いて頂いた故人の名前を読み上げつつのひと時でした。

法要後は法話をさせて頂き、そしてお茶会。いつもの法話会と違うメンバーも多かったせいか、皆でワイワイ話すというよりは、私が話したり質問に答えたりする時間が長かったです。

来月は、お彼岸。9月23日(火祝)の13時からです。
どんな会にしようか、熟考中です (^_^;) 

2014年8月16日の東京新聞 [その他色々]

師と仰ぎ尊敬する浄土真宗本願寺派の本多靜芳先生が、東京新聞に記事を掲載されていました。
タイトルの通り2014年8月16日の東京新聞朝刊で、『親鸞の教え 「私」を問い続ける 上』という題。ちなみに「下」は来週の土曜日、23日に掲載予定だそうです。横浜では売ってないかな、と思いきや、近所のコンビニにありました (^_^)
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本多師は、親鸞聖人の教えの根幹に「神祇不拝(じんぎふはい)」と「国王不礼(こくおうふらい)」があると仰います。
「神祇不拝」は、我欲達成を目的とするような呪術宗教を拝まない姿勢。
「国王不礼」は、権力や財力に盲目的に屈服しない姿勢のことです。

我欲に従い、世俗の権威や財力に従う方が、ある意味ラクに生きられるでしょう。仏教は、親鸞聖人の教えは、その道を選ばず自分自身を問い続ける道である、ということだと、私は受け止めさせて頂きました。

来週も楽しみです (^_^)

2014年8月号 [和庵だより]

 テレビ ◇

 先月号発送直後に来た話ですので皆さまにはお知らせ出来ませんでしたが、テレビ朝日の番組「言いたいことをハッキリ言うTV」に出演するご縁がありました。司会は爆笑問題のお二人で、毎回さまざまなゲストが番組タイトル通り、言いにくいことをハッキリと言い、討論します。

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夏の嬉しい1日 [その他色々]

朝から暑い日、ポストをのぞくと膨らんだ封筒が。
愛知のお寺のご住職からです。
「なんだろう?」と開けると…

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「死の体験旅行」 [死の体験旅行]

「死の体験旅行」
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(銀座beezにて)

この言葉を聞いて、皆さんはどのように感じましたでしょうか?
なにそれ? 怖いの? 刺激的?


実はこれ、アメリカのホスピスで開発されたとされるワークショップ(体験学習)の名称で、原題は「death simulation game」とも呼ばれているようです。

ホスピスは特殊な病院施設です。
通常の病院は、怪我や病気を回復し、健康体になって退院することを目的としています。しかしホスピスは、安らかに亡くなっていくことを主たる目的としています。

そこで働く医師、看護師、またボランティアスタッフのために開発されたのが、このワークショップです。ホスピスに入院している患者は、ほぼ回復の見込みがなく、死を間近にした人々です。
その方たちの気持ちに少しでも寄り添い、最期の時を高いQOL(クオリティ・オブ・ライフ=生命の質)を保ち過ごして頂くため、接するスタッフにも特殊な教育が必要とされています。
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「死の体験旅行」は、自らが命を終えていく過程を擬似体験し、患者や家族がどのような喪失体験を味わっているのか、悲しみ苦しみを感じているのかを仮想的に感じるワークショップです。


私は僧侶です。人の生き死にに関わる立場です。
このワークショップの存在を知った時、「自分が導師として勤める葬儀で、亡くなった方やご遺族の気持ちに少しでも近づき、寄り添い、その上でお勤めさせて頂きたい。」と思いました。

医療者向けのワークショップですから、なかなか受講の機会は訪れませんでした。数年後やっと気付き、開催出来る方を なごみ庵に招き、仲間の僧侶に声をかけ、共に体験しました。それは鮮烈な体験で、途中からあふれ出る涙を止めることが出来ませんでした。
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後日、仲間が体験記を書いてくれました。
それを読んだ方々から、「私も体験したい!」「次はいつやるんですか?」という問い合わせが頻繁に届きました。「死」なんてものは、一般の方々は考えたくもないのだろう、と思っていましたが、それは違いました。

「死を考えるこのワークショップを体験し、自分にとって何が本当に大切なのかを見つけたい」という意見が集まり、私はファシリテーター(進行役)としての準備を進め、平成25年1月より開催するようになりました。


「生のみが我らにあらず、死もまた我らなり」
明治時代の僧侶、清沢満之の言葉です。私たちは死を恐れ、死を遠ざけて生きています。
けれど、どれほど目を背けても、死は否応なく訪れます。そこから視線をそらして生きるのか、真正面から見つめるのか。どちらも間違いではありませんが、必ずやってくるものを見つめることが、より良い生を送ることに繋がるのではないかと思います。
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(平成25年「向源」 品川 正徳寺にて)

ワークショップに必要な時間は2時間となっております。
開催に適した人数は8〜20名ほどですが、会場や環境によって上下します。
ご興味のある方は、どうぞお気軽にお問い合わせ下さい。
bouzu@sd5.so-net.ne.jp
開催情報「まちのお寺の学校

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(平成26年「向源」 増上寺にて)

2014年7月の法語 [月々の法語]

本当の相(すがた)になる これが仏の教えの目的である
Realizing true self is the goal of the Buddha’s teaching.
暁烏 敏(あけがらす はや)

 今年のカレンダーの法語は様々な念仏者や僧侶の言葉から選ばれており、7月は明治前半〜昭和中期の真宗大谷派の僧侶、暁烏敏師の言葉です。暁烏師は石川県の出身で、同じ大谷派の清沢満之師に師事し、同じ加賀の藤原鉄乗師、高光大船師とともに「加賀の三羽烏」と呼ばれていました。

 さて、さっそく今月の言葉ですが、「本当の相になる」というのはどういうことでしょうか?
 『アナと雪の女王』という映画が流行し、その主題歌『ありのままで』も大ヒットしています。何を隠そう、私も初めて映画館でデイズニー映画を観てしまいました。

 この主題歌の歌詞の意味するところは、「強い魔力を持って生まれたために、ずっと自分を抑圧して生きてきた主人公が、その抑圧を取り払い思い通りに生きる」ということだと思います。私もこの歌が好きなのですが、反面こういう歌詞が流行るということは、それだけ「自分は抑圧されている」「私は本当の自分を生きていない」と思っている人が多いのではないかと心配になってしまいます。

 現在の自分に満足出来ず、どこかに「本当の自分」がいるのではないかと探し求めるのは、満たされない欲求を追い求め続けるようなもので、イタチごっこを続けるだけのように思います。
 今月の言葉の後半は「これが仏の教えの目的である」と書かれていますが、「これ」とは「本来の自分の姿に気付き、その姿をありのままに認める」ことでしょう。

 つまり歌詞では「ありのままの、姿見せるのよ。ありのままの自分になるの」と書かれていますが、実は「今の自分が過不足ないありのままの自分になっている」と認めるのが「仏の教え」だということではないでしょうか。

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