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ようこそ! 倶生山(ぐしょうさん)なごみ庵HPへ!

なごみ庵は2006年に開所した、ちいさな新しいお寺です

〜定例行事予定〜
・12月 8日(第2金):イキイキ長いきの会 14時
・ 1月12日(第2金):法話会 13時/19時
・11月17日(第3金):写経会 10時30分
・11月24日(第4金):笑いヨガ 10時30分
※いずれの会も1時間ほど、その後茶話会(参加自由)があります
※いずれの会も参加費500円ほどお願いしています
(写経初回と夜法話会のみ1000円ほどお願いします)
※宗教・宗派を気にせずおいで下さい
※初回来場者には腕輪念珠プレゼント

〜課外活動予定〜
・写経会in神之木地区センター(横浜線大口駅 東口より徒歩4分)
 毎月第1・3(火)18時半〜(変更の場合あり 要お問い合わせ)
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2017年11月の法語 [月々の法語]

信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ
It is by entering the wisdom of the entrusting heart that we become person who respond in gratitude to the Buddha’s benevolence.

今年の法語カレンダーは、2009年以来8年ぶりに、親鸞聖人の和讃(わさん)が題材になっています。和讃は七五調の和語の歌で、平安時代に流行した「今様(いまよう)」と形式は同じですが、仏・法・僧伽を讃嘆したものが特に「和讃」と呼ばれます。

また、カレンダーでは4行ある和讃の2行が記されていますので、まずは全体像をご紹介します。

釋迦弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心は得しめたる
信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ

<ことばの意味>
釋迦弥陀:お釈迦さまと阿弥陀さま
願作仏心:仏に成ろうと願う心 菩提心

<現代語訳>
お釈迦さまと阿弥陀さまの大慈悲によって、私たちは大菩提心を頂くことができた。
これは阿弥陀さまより賜った信心の智慧であって、この信心の智慧を得れば仏恩を感じ、これに報いようとする身になるのである。

<私のあじわい>
親鸞聖人はとても言葉を厳格に、また大切に扱う方だったようで、ご自身で書かれた文に「左訓」と呼ばれる註釈を丁寧にお書きになりました。
この和讃にも左訓が書かれていますが、特に3行目「信心の智慧にいりてこそ」の左訓が興味深いものになっています。
「弥陀の誓いは智慧にてまします故に、信ずる心の出で来るは智慧の起こると知るべし」と書かれていて、3行目本文よりもずっと長くなっています。

信心というと、「鰯の頭も信心から」や「盲信」という言葉もあるとおり、何かよく分からないけれど、とにかく拝んでおこうというような、知的な行為でないように捉えられることがあります。しかし親鸞聖人にとって信心とはそのような曖昧模糊としたものではなく、はっきりと眼が開き、迷いが晴れたような状態と受け止めていらしたのでしょう。
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万行寺の本多靜芳師は「信心の語源はサンスクリット語の『チッタ・プラサーダ』で、三昧や禅定という意味がある。言い換えると、心を静める、浄化するという意味で、いわゆる『信じる』という意味はない」と仰っていました。
ここからも信心とは、「何やらよく分からないものを拝む」という姿勢ではなく、本来は非常に知的な行為なのだということが分かりますし、親鸞聖人はやはり言葉の意味を正確に捉えていたことが伺い知れます。

ではその智慧というのはどういうことなのでしょうか。
私は宗派を問わず、仏教で説いている根本は「縁起・智慧・慈悲」だと思っています。
もう少し丁寧にお話ししますと、「この世の全ては互いに繋がり合っているという『縁起』の道理があり、それを『智慧』の眼で見据え、関係する全ての対象に『慈悲』が湧き起こるもの」と捉えています。

以前に「それを現代的に伝えるとどういう言葉になりますかね?」と問われてスッと頭に思い浮かんだのが「相関・俯瞰・共感ですかね」という言葉でした。言った後に気づいたのですが、「〜〜カン」と韻を踏んでいて、知人からも覚えやすくて分かりやすい、と褒めて頂きました。

縁起も智慧も慈悲も日本人には耳慣れた言葉ですので、はっきりと意味は分からなくても何となく有り難そうな言葉だと頷いてしまいがちだと思います。
けれど僧侶は、仏教用語の持っている雰囲気に依存するのではなく、しっかりと意味が伝わるように説明する必要があるのだと思います。そうしてこそ「鰯の頭も信心から」ではなく「信心=チッタ・プラサーダ」を共に味わえるのではないでしょうか。

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AERAに掲載! [死の体験旅行]

週刊誌のAERA11月20日号(11月13日発売)で「不安にならない逝き方」特集が組まれ、その中で「死の体験旅行」の取材記事を掲載して頂きました。
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AERAといえば電車の中吊り広告というイメージがありますが、けっこう太字で書いて頂いています (。・・。) 

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文面は出してはいけないでしょうから、見た瞬間「眼、細っ!」と自分で驚いてしまったの私の写真だけ (^_^;) 

ご興味のある方はご購入頂くか、コンビニでご覧頂くか、なごみ庵においでください (^人^)

後日「AERA.net」に掲載されるようですので、その時はまたお知らせをさせて頂きます。

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新ワークショップ「死んでから書くエンディングノート」 [その他色々]

ワークショップ「死の体験旅行」は2013年1月から始め、120回以上、2300人以上の方にお受け頂き、いくつかメディアに取り上げても頂き、多くの方の関心を頂けるようになりました。

そして2017年7月から、新しいワークショップを始めることになりました。
「新しい」と言っても全くゼロからというわけではなく、仏教ライターの福田祥子さんと協力し、今まで経験を積んだ「死の体験旅行」とマンダラエンディングノートを融合させたもの。
それが「死んでから書くエンディングノート」です。
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数年前から「終活」という言葉が流行し、自分の意志を記入しておくエンディングノートも多くの人に知られるようになりました。現在はかなりの種類のエンディングノートが出版されていますが、マンダラチャートを用いたものが「マンダラエンディングノート」です。
http://www.mandalachart.jp

マンダラチャートそのものを耳にしたことが無いかもしれませんが、プロ野球の大谷翔平選手が高校時代に将来の目標設定をした時に使ったのが、このマンダラチャートです。

それを応用したマンダラエンディングノートと「死の体験旅行」がコラボしました。
7月に第1回、10月に第2回を開催し、徐々に完成度を高めています。
そして第3回は2018年1月18日(木)19時に渋谷区の施設で開催することになりました。
http://peatix.com/event/323145/

「死の体験旅行」とは少し方向性が違い、より「自分の経験・記憶・思い」に比重を置いたものになっています。ご興味をお持ち頂いた方、ぜひ会場でお目にかかれればと思います。

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2017年11月号 [和庵だより]

◇ ロボット僧侶!? ◇

 夏に開催されたエンディング産業展で、最も注目を浴びたのはロボット僧侶でした。SoftBankが販売している人型ロボットのペッパーに僧衣を着せ、読経をしたり木魚を叩いたりという姿が面白かったのか、テレビでも何度か放映されたようでした。

 テレビやネットで様々な意見が出ていましたが、流石に現時点で自分や家族の葬儀にペッパー僧侶をお願いしたい、という声は聴かれませんでした。しかし将来もっと技術やAIが発達したら、人間の僧侶よりも良い説法などをするのではないか、といった意見にはなるほどと思いました。

 ただ、どうしてもロボットには人間と異なる部分があります。それは「死」です。
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 仏教は、2500年前にお釈迦さまが老病死への恐怖を抱いたことが出発点です。ロボットももちろん故障したり壊れたりすることはありますが、部品を交換したり、新しい機体にデータを移すことが出来るでしょう。なのでおそらく、人間が老病死に感じるような恐怖、つまり自分という存在が消え、また人々の記憶から消え去ってしまうのではないかという恐怖を、機械であるロボットは感じ得ないのだと思います。

 僧侶が、葬儀や法事などのセレモニーで、お経を上げるだけの機械のような役割しか果たさないとしたら、それこそ機械に取って代わられることもあるかもしれません。けれど、人間として互いに苦悩を抱え、一緒に悩んだり、悲しんだり、励ましたり、笑ったりという役割を、生身の僧侶だから持ち得るのだと思います。

 なごみ庵の山号「倶生山」には、「倶(とも)にこの世を生きる」という意味が込められていて、私は縁ある方の伴走者でありたいと思っています。そしてこの世の縁が尽きた時は「倶に浄土に生まれる」仲間でありたいとも思っています。


△ お 知 ら せ △

◎寺フェスin YOKOHAMA 11月11日(土)9時〜16時 妙蓮寺
東横線 妙蓮寺駅前の妙蓮寺さまで寺フェスが開催されます。広い境内では七五三法要やヨガ体験、マジックショーやバルーンショー、写経、写仏、お坊さんカフェ、日蓮宗独自の水行体験など盛りだくさんです。私も僧侶向け講座の講師として、会場に行っています。

◎ひとり暮らしの会 11月21日(火)11時 なごみ庵 参加費1000円
5月から久しぶりの開催です。お昼ご飯をご一緒しながら、交流を深めます。
準備の都合上、4日前の11月17日までにお申し込みください。

◎いのちの日 いのちの時間 東京 12月1日(金)15時受付開始 築地本願寺
例年通り12月1日、超宗派の僧侶による自死者追悼法要が厳修されます。
この情報を必要としている方がいらっしゃいましたら、どうぞお伝えください。

◎プレオム劇の朗読ライブ 12月5日(火)・6日(水) 吉祥寺
坊守(お寺の奥さん)出演の朗読ライブ、詳細は別紙ご覧ください。

◎報恩講法要 12月10日(日)13時 なごみ庵
浄土真宗のお寺で最も大切な法要、報恩講(ほうおんこう)。詳細は別紙ご覧ください。

◦死の体験旅行 11月20日(月)19時 豊島区 金剛院
◦自死ご遺族分かち合い 11月22日(水)10時30分 築地本願寺
◦神之木地区センター写経会 毎月第1/3火曜18時30分(変更の場合有)
◦神之木地区センター笑いヨガ 11月13日(月)10時30分

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座間9遺体事件について 毎日新聞にコメント掲載 [その他色々]

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10月末に事件が発覚し、日本中を震撼させた「座間9遺体事件」。いまだ被害者の身元判明も進まず、経緯や動機も判然としていません。人間は未知なもの、理解できないものに対して恐怖を抱きますが、私自身も報道を見るたびに恐怖心が湧き上がってきます。

各メディアによる報道が続いていますが、11月4日の毎日新聞「くらしナビ」欄(神奈川では11面)には、希死念慮者に対しての記事が掲載され、その中で自死問題に関わる者(「自死・自殺に向き合う僧侶の会」共同代表)としてインタビューをお受けいたしました。

同じくインタビューを受けたのは、若い女性を支援する「BONDプロジェクト」橘ジュンさん、それと私と同じく僧侶で「京都 自死・自殺相談センター Sotto」の竹本了悟さん。


私のコメント部分を一部紹介させて頂きます。
・「死にたい」という言葉には、続きが隠されている。「ほどつらい」だ。
・僧侶に無料で悩みを相談できるサイト「ハスノハ」にも、自殺願望をつづった投稿は少なくない。
・(自殺は)自分の役割と真剣に向き合った人が、抱えきれなくって行き詰まってしまい、自殺に至るケースが多いのです。
・もし目の前に死にたい人がいたとしたら、「諸行無常」という言葉を伝えたいという。「物事は移り変わってしまうというネガティブな意味で捉えられがちですが、すべての物事は変化します。あなたの辛い状況も変化していく、そう信じています」

SNSに「死にたい」と書き込む層と新聞購読層はあまり重ならないかもしれませんが、誰かを/何かを通じて私たちのメッセージが伝わることを念じています。

自死・自殺に向き合う僧侶の会 http://www.bouzsanga.org
お坊さんQ&A ハスノハ http://hasunoha.jp
BONDプロジェクト http://bondproject.jp
京都 自死・自殺相談センター Sotto http://www.kyoto-jsc.jp

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2017年10月の法話 [月々の法語]

ねてもさめても へだてなく 南無阿弥陀仏をとなうべし
All should say Namo Amida Butsu constantly, whether they are awake or asleep.

今年の法語カレンダーは、2009年以来8年ぶりに、親鸞聖人の和讃(わさん)が題材になっています。和讃は七五調の和語の歌で、平安時代に流行した「今様(いまよう)」と形式は同じですが、仏・法・僧伽を讃嘆したものが特に「和讃」と呼ばれます。
また、カレンダーでは4行ある和讃の2行が記されていますので、まずは全体像をご紹介します。

弥陀大悲の誓願を 深く信ぜん人はみな
寝てもさめても隔てなく 南無阿弥陀仏を称うべし

<ことばの意味>
弥陀:阿弥陀仏
大悲:阿弥陀仏の大いなる慈悲
誓願:阿弥陀仏が一切衆生を救いたいと誓われたこと

<現代語訳>
阿弥陀仏の、一切衆生を救いたいという誓願を深く信じる人は皆、
寝ている時も目覚めている時も、南無阿弥陀仏と称えようではありませんか

<私のあじわい>
親鸞聖人の和讃には「べし」という言葉がよく出てきます。
言葉のイメージとしては「〜〜すべし」などと命令的なイメージがありますが、調べてみると多様な意味があるようです。

進研ゼミのHPでは以下のように書いてありました。
【推量】 [訳し方]~だろう・~ようだ
【意志】 [訳し方]~う・~よう・~つもりだ
【可能】 [訳し方]~できる
【当然・義務】 [訳し方]~はずだ・~なければならない
【命令】 [訳し方]~せよ
【適当・勧誘】 [訳し方]~のがよい・~よう

命令という意味もありますが、「弟子一人も持たず」「御同行、御同朋」と仰った親鸞聖人が、ここで命令口調になるのは考えにくいことです。ですから和讃に頻出する「べし」は、「意志」や「適当・勧誘」の意味が込められていると考えるのが妥当だと思われます。
ですので現代語訳も「南無阿弥陀仏と称えようではありませんか」といたしました。

ではなぜ親鸞聖人は「一緒にお念仏を称えましょう」と仰ったのでしょうか。
それは、人間が生まれてきた以上、必ず直面せざるを得ない生死の問題があるからです。浄土真宗ではこれを「後生の一大事」と言います。
なにも浄土真宗だけで問題としているわけではなく、洋の東西・宗教を問わず生死は大きな問題なのです。

ラテン語の「メメント・モリ(死を思え)」という言葉はあまりに有名ですし、日蓮聖人は「先ずは臨終のことを習ろうて、後に他事を習ろうべし」と仰り、またドイツのハイデッガーは「人は、いつか必ず死が訪れるということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない」と言っています。

思えばお釈迦さまも、裕福な王子の立場を捨てて出家修行に進んだ最初の動機は「病み、老い、死ぬのは嫌だ(四門出遊)」という思いでした。
つまり「死」とは、時代を超え究極の問題として私たちに突きつけられてくるものなのです。
そして法然上人、親鸞聖人は「必ず救うと誓った阿弥陀仏に全てを委ねる」という解決方法を見出し、それを人々に勧めていったのです。

今年の8月、エンディング産業展というイベントがありました。葬儀社や墓石業などの会社、お寺や葬儀に関するサービスを提供する会社が出展したのですが、ひときわ注目を集めメディアでも放映されたのが、ロボットのpepperがお坊さんになった姿でした。

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木魚を叩き、お経を上げ、法話もするというのです。賛否両論……とは言っても否定的な意見が多く、賛成意見も「まあ、お経は間違えないよね」といった程度のものでした。ただAIが進歩していけば、人間の僧侶を脅かす存在になるのではないか、という意見もありました。

しかし私としては、宗教の出発点のひとつが生死の問題である以上、死ぬことがないロボットは、宗教者として決定的に欠けているものがあると思います。

もちろんプログラムで「死に恐怖している様子」を振る舞うことは出来るかもしれません。同じように、完璧なお経や素晴らしい法話も可能でしょう。

つまり僧侶が法要儀式の場での読経マシーンであるならば、ロボットが代行することは可能だと思います。しかし、共に苦しみ、迷い、涙する存在であるからこそ、人間が宗教者をする意味があるのだと思います。

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新潮新人賞! [その他色々]

新潮新人賞を受賞しました!

あ! 私じゃありません!(笑)

「自死・自殺に向き合う僧侶の会」の仲間で、現在インド在住の女性僧侶、石井遊佳さんの作品『百年泥』が新潮社の新人賞を受賞したのです。
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つい最近まで小説を書いていることすら周囲は知らなかったのですが、突然インドから「新潮新人賞を頂くことになりまして…」と報告を頂き、「インド人もビックリ」ならぬ「インドからビックリ情報」でした (^_^;) 

一般家庭出身で、東大出身で、僧侶になって…と異色な彼女。
私より後に入会したのですが、タダモノならぬ雰囲気を放っていました。

入会して間もなく、ご主人の仕事の都合でインドに行くことになってしまって残念だったのですが、年に1度の休暇で帰国の際は会の活動日に合わせて帰ってきてくれて、お互い再会を喜び合っていました。

そんな石井さんの受賞はとてもうれしいことで、今まで買ったことのない小説雑誌を買って早速読ませて頂きました。
泣く泣く行くことになったインドでしたが、現地の体験をもとに書いた小説で賞を受賞するなんて、なんとたくましいのでしょうか!(笑)

おめでとう、石井さん。
単行本が出たら買うからね!


以下リンクでインタビュー記事が掲載されています。
http://www.shinchosha.co.jp/shincho/tachiyomi/20171007_4.html

あと、こちらのリンクでさわりを読むことができます。
http://www.shinchosha.co.jp/shincho/tachiyomi/20171007_2.html

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2017年10月号 [和庵だより]

◇ 西へ東へ ◇

 九月は東奔西な日々でした。
 まず二〜三日は飛騨高山へ。真宗大谷派のお寺で、親鸞聖人七百五十回遠忌と住職継職法要という記念の行事に、おてらしばい「恵信尼ものがたり」でお招き頂きました。新横浜から高山は4時間以上かかりますので前日入りをし、山奥にある宿で一泊。夜はかすかに虫の声が響くだけの静けさで、翌朝外に出ると「クマに注意」の看板にビックリ。

 六〜七日は金沢に。最近テレビや新聞でもよく「未来の住職塾」が取り上げられるようになりましたが、縁あって卒業生会の会長をさせて頂いています。今回は年に一度の卒業生の集いで、石川県で並外れた活躍をする二人の僧侶に講演をお願いしての研修旅行です。
 お一人は限界集落を見事に復興させた高野誠鮮さん、もうお一人は社会福祉法人 佛子園理事長の雄谷良成さん。多いに刺激を受けました。

 二十日には奥多摩。町の福祉保健課からの依頼で、自死対策ゲートキーパー養成講座の講師として行って参りました。せっかくの遠出ですので手前の駅で降りて散策。人っ子一人いない山道を気持ちよく歩いていたら…「マムシ・クマに注意」という看板が。まさか月に二度もクマにおびえることになるとは思いませんでした。
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 やはり秋は行事が多く、十月も外に出る機会が増えそうです。
ご用の方は、どうぞご連絡頂いてからご来庵ください。


△ お 知 ら せ △

◎甚行寺さま合同バス旅行 10月27日(金)
毎年10月恒例、甚行寺さまとの合同バス旅行は「小江戸 川越」です。
詳細は別紙をご覧ください。

◎いのちの日 いのちの時間 東京 12月1日(金)
今年も自死者追悼大法要「いのちの日 いのちの時間 東京」が開催されます。
日程は例年同様12月1日、今年は金曜日になります。時間も例年通り15時ごろからの受付開始になると思いますが、詳細は次号でお知らせいたします。
会場は築地本願寺です。この情報を必要としている方がいらっしゃいましたら、どうぞお知らせください。

◎ほうおんこう法要 ご案内 12月10日(日)13時
浄土真宗のお寺で最も大切な法要、ほうおんこう(報恩講)が今年も近づいてきました。
今年のご講師は、各方面で大活躍している大來尚順さんです。詳細は次号をお待ちください。

◎死の体験旅行 10月23日(月)19時 豊島区 金剛院

◎自死ご遺族分かち合い 10月26日(木)10時30分 築地本願寺

◎神之木地区センター写経会 毎月第1・3(火)18時30分(変更の場合あり)

◎神之木地区センター笑いヨガ 10月2日・11月13日 いずれも月曜10時30分

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奥多摩町は終着駅? [その他色々]

9月20日、お彼岸の入りの日、忙しくしているであろう仲間の僧侶を思いつつ、電車に揺られて奥多摩へ。
遠いですね〜。約2時間半、奥多摩駅1つ手前の白丸駅で下車し、散策路を進み始めました。

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歩き始めてすぐに大きな橋を渡るんですが、そこからの景色が絶景です!
川の中央には、1人乗りのカヌー? が進んでいます。

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平日だからでしょうか、前にも後ろにも誰も見えず、気持ちの良い空気の中をてくてくと歩きます。
つい先日、禅僧で心療内科医の川野泰周師の著書『悩みの9割は歩けば消える』を読み、「歩くことに集中」して歩くことが大切だということを学んでいたので、そう意識をして歩を進めます。

しかし…
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「熊出没注意!」の看板、他にも「マムシに注意!」の看板を見て、すぐに心は乱れてしまいました (^_^;) 


さてワタクシ、お彼岸の入りにレジャーに行ったわけではありません。
実は奥多摩町役場の福祉保健課から、「自死・自殺に向き合う僧侶の会」に講演依頼が入りました。
9月の中〜後半が希望ということで、身動きの取りやすい私が引き受けることになりました。

タイトルに「奥多摩町は終着駅?」と書きましたが、1つの路線の終着駅であるという特性か、町外から訪れて自死をする方が多く、7年ほど前から町をあげて自死対策に取り組んでいるとのこと。

毎年、精神科医や行政書士の方が講師となって講座を開いてきましたが、今回初めて宗教者を招いたところ、目新しさもあってか来場者が非常に多かったそうです(係の方が急いで資料を増刷していました)。

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話の内容は、前半40分ほどが「僧侶の会」の活動紹介。
そして後半40分ほどは、詩人の金子みすゞさんや、最近テレビなどで話題になった出来事をモデルとして傾聴のケーススタディを行い、最後に質疑応答という構成でした。

重い話題ですので少しユーモアを交えつつでしたが、皆さん一所懸命に耳を傾けてくださり、あっという間に2時間が過ぎました。
ある仲間の僧侶が仰った言葉ですが、終着駅ということは始発駅でもあるということです。人生を終えようとやって来た方が、人生の再スタートを切る場所になれば、それは素晴らしいことだと思います。


終了後、奥多摩町特産のシイタケや、福祉会館で売られているパンをお土産にいただき、帰路につきました。
山道を歩いて身体も疲れ、講演で頭も疲れ、夜はバタンキューでした (_ _)Zzz...

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2017年9月の法話 [月々の法語]

願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず
The power of the Vow is without limit.
Thus, even our karmic evil, deep and heavy, is not oppressive.

今年の法語カレンダーは、2009年以来8年ぶりに、親鸞聖人の和讃(わさん)が題材になっています。和讃は七五調の和語の歌で、平安時代に流行した「今様(いまよう)」と形式は同じですが、仏・法・僧伽を讃嘆したものが特に「和讃」と呼ばれます。
また、カレンダーでは4行ある和讃の2行が記されていますので、まずは全体像をご紹介します。

願力無窮にましませば 罪業深重も重からず
仏智無辺にましませば 散乱放逸も捨てられず

<ことばの意味>
願力:阿弥陀仏の、衆生を救い摂りたいという願い
無窮:限界が無いこと
罪業深重:凡夫である私たちが非常に罪深い存在であること
仏智:仏さまの智慧
無辺:際限が無いこと
散乱放逸:欲望に常に乱され、ほしいままに振る舞う者

<現代語訳>
阿弥陀仏の本願力は極まりないものであるから、どんなに罪とがが深かろうとも、それを重しとしない。
阿弥陀仏の智慧は際限がないものであるから、我々の心がどんなに乱れ、自分勝手であろうとも、それをお見捨てにならない。

<私のあじわい>
キリスト教と仏教、特に浄土真宗で似ている部分があると言われます。
キリスト教では人間は原罪を背負っていると説き、親鸞聖人は人間を罪悪深重の凡夫であると説きます。

アダムとイブがエデンの園で暮らしていた時、神から食べることを禁じられた知恵の木の実を、蛇にそそのかされて食べてしまう。神との約束を破ったことが「原罪」とされています。

いっぽう親鸞聖人が説いたのは、お釈迦さまの教えがあろうと道徳があろうと法律があろうと、人間には御しがたい煩悩があり、その煩悩によってどんな行いでもし得る存在だと説かれました。
「罪」が神との関係性の中から生まれているのか、自己省察の中から生まれているのか、根本的に異なっている部分もあります。しかし根本的に罪を背負った存在だというのが共通している部分ですね。

さて、真宗ではその「罪悪深重の凡夫」を救うのが阿弥陀仏だと説きます。罪悪深重を反省したり償ったりした者を救うのではなく、罪深いままの私たちをそのまま救い摂ると誓った仏さまです。
だからこそ和讃に書かれているように、阿弥陀仏の願いの力は「無窮」であり「無辺」だと説かれているのです。

9月2日からNHKで『植木等とのぼせもん』というドラマが始まりました。タイトルどおり、植木等さんを主人公としています。

この植木等さん、実はお坊さんになっていたのかもしれません。しかも浄土真宗。
植木さんは名古屋の生まれで、お父さまは真宗大谷派の僧侶でした。「等」という名前には「阿弥陀如来が一切衆生を平等に救う」という意味が込められているそうです。

植木さん、芸能人としての顔は「無責任男」を代名詞とするような喜劇俳優でしたが、実際には非常に真面目な正確だったようです。その真面目な彼にヒット曲となる「スーダラ節」の話がやってきます。

ちょいと一杯のつもりで飲んで いつの間にやらハシゴ酒♫
気がつきゃホームのベンチでゴロ寝 これじゃ身体にいいわきゃないよ♫
分かっちゃいるけどやめられない♫

1番は酒、2番はバクチ、3番は女性で失敗する、情けない男性の姿が描かれています。まさに和讃に書かれる「散乱放逸」の姿です。
植木さんは住職である父に、こんなふざけた歌を歌って良いのだろうかと相談します。
しかし父は、酒にバクチに女、どれも手を出さなければ良いと分かっているのに、どうしてもやめられない。これはまさしく親鸞聖人が説かれた凡夫の歌だ、浄土真宗の歌だ。ぜひ歌え。
そんなことを伝えたようです。

また「スーダラ」という言葉は、お釈迦さまが生まれたインドの身分制度で下層階級とされた「シュードラ」に似ています。泥と埃にまみれて生きるシュードラ。情と欲にまみれて生きる人を歌うスーダラ節。そんな連想もあったかもしれません(実際には「スーダラ」の語源は不明)。

悩み悲しみ苦しみ切なさ。捨てたくても捨て切れない重荷を抱えた私たちを、そのまま救い摂ると誓う仏さまがいる。そう気づいた時、私たちの重荷は重さが変わらぬままに軽くなっていくのではないでしょうか。

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