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ようこそ! 倶生山(ぐしょうさん)なごみ庵HPへ!

なごみ庵は2006年に開所した、ちいさな新しいお寺です

〜定例行事予定〜
・5月 4日(第1金):イキイキ長いきの会 14時
・5月11日(第2金):法話会 13時/19時
・4月20日(第3金):写経会 10時30分
・4月27日(第4金):笑いヨガ 10時30分
※いずれの会も1時間ほど、その後茶話会(参加自由)があります
※いずれの会も参加費500円ほどお願いしています
(写経初回と夜法話会のみ1000円ほどお願いします)
※宗教・宗派を気にせずおいで下さい
※初回来場者には腕輪念珠プレゼント

〜課外活動予定〜
・写経会in神之木地区センター(横浜線大口駅 東口より徒歩4分)
 毎月第1・3(火)18時半〜(変更の場合あり 要お問い合わせ)
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手のひら地蔵、おさまりました! [その他色々]

なごみ庵で今年1月に開催された「お地蔵さん彫りワークショップ」

http://753an.blog.so-net.ne.jp/2018-01-07

この時、坊守も参加し、私は以前に彫っていたミニ地蔵。
小さいものですし、無くしちゃったらイヤだな…
どこか安置する場所を決めておこうか…

材料を求めて百均に行きウロウロ。
見つけたのが写真立て。
こうして……ああして……

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出来上がりました!
木枠にラベルが張ってありますが、右が私作、左が坊守作です (^人^)

なんだろう、愛着が湧いてきた…

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2018年4月の法話 [月々の法語]

今年は親鸞聖人のお言葉を、弟子の唯円(とされています)が聞き書きをした『歎異抄(たんにしょう)』を題材としてお話しさせて頂いています。
スクリーンショット 2018-04-15 04-15 9.45.49.png
親鸞聖人、法然上人がいらっしゃった鎌倉時代から、お念仏の教えは誤解を招くことが多く、一時は『歎異抄』も「門外不出の書」として扱われていた時代もありました。

その中でも今回の第三条は「悪人正因」「悪人正機」と呼ばれ、もっとも誤解を招きやすい部分について書かれています。
なにしろ書き出しの一文が「善人でさえ浄土に往生することができるのだから、ましてや悪人は言うまでもない」となっているからです。

初めてこの文を目にした方はだいたい「えっ、逆でしょ? 誤植かな?」と思われるようですが、これで間違っていないのです。
「そんなバカな」と思われるかもしれませんが、親鸞聖人が仰る「善人・悪人」の意味が、私たちが一般的に使うそれと全く意味が異なっているのです。

一般的な「善人」
 社会のルールを守り、ボランティアなどの善い行いをする人
歎異抄での「善人」
 自分の力で悟りを開けると思い込み、阿弥陀仏に頼り切れない人

一般的な「悪人」
 法律や道徳を無視するような人
歎異抄での「悪人」
 自分の力の限界を悟り、仏さまに素直に委ねられる人

阿弥陀如来の救いの対象は、全ての生きとし生けるものです。
ですので、一般的な善人悪人も、親鸞聖人が仰る善人悪人も、全てが救いの対象です。
しかし歎異抄での善人は「自分でなんとかするから阿弥陀さんには頼らないよ!」と、仏さまに背を向けて逃げているような状態です。

反対に歎異抄での悪人は「自分ではもうどうしようもない、阿弥陀さん、よろしくお願いします」と仏さまに歩み寄っていくような状態です。

こう考えると冒頭の一文「善人でさえ浄土に往生することができるのだから、ましてや悪人は言うまでもない」は、
「逃げていく『善人』でさえ救われるのだから、仏さまに歩み寄る『悪人』は言うまでもなく救われる」と受け止めることが出来ます。


こう正しく理解できれば良いのですが、昔も、そしておそらく今も、字面だけを見て誤解する人は少なくありません。親鸞聖人の時代には「悪いことした方が救われるんだって、じゃあ夜討ち強盗にレッツゴー!」と蛮行に走る者もいたといいます。

情報を正しく受け止め理解する。
昔も、そして膨大な情報がとめどなく流れる現代はなお一層、真贋を見極めようとする姿勢が大切だと考えさせられます。

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ご縁ご円のバウムクーヘン [その他色々]

今年もバウムクーヘンの季節がやってきました。

え? なんのことか分からない?
ここ数年、3月に広島と神戸のそごうで「バウムクーヘン博覧会」が開かれ、そこで集まった寄付金をもとに「おてらおやつクラブ」にバウムクーヘンが提供されるのです。

寄付は一度「神戸スイーツ学会」に集まり、そこから洋菓子ユーハイムさんに依頼が出され、各寺院に届き、子どもたちに届けられます。

なぜお寺でバウムクーヘンなのでしょうか。
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それは上記のような「ご縁」の繋がりがまるで円のようで、あたかもバウムクーヘンの食べる部分のようです。
そして関わる人々に私心はなく無我のこころ、これが中心に穴があるバウムクーヘンの特徴と重なります。

というのは私がいま思いついた話ですが(笑)、何しろ善意とご縁の繋がりが、全国の子どもたちに届けられるのです。その数、一昨年は5千個超、昨年は1万個を超えました。今年はいったいいくつのバウムクーヘンが全国に行き渡るのでしょうか。

なごみ庵でも5箱お送り頂き、たんまち塾/かみのき塾さんと、友ゆうスペースさんにお届けさせて頂きました。
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見ず知らずの大人たちが気持ちを寄せいてる、そんな思いが子どもたちに伝わり、笑顔が生まれればと願っています。

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坊守オン・ザ・ステージ [その他色々]

なごみ庵の坊守(妻)が舞台女優で、お寺で金子みすゞや恵信尼さま、イダイケ夫人の芝居をしているというのはご存知の方もいらっしゃると思いますが、お寺とは直接関係の無い一般のお芝居にも出演しています。

いつもお世話になっているのは、中島淳彦さんが率いる劇団「プレオム劇」。
なにしろ中島さんの書くストーリーが面白く、また味わい深く、坊守が関わるようになってから毎回観劇していますが、とにかく外れがありません。

今年も下北沢の老舗劇場ザ・スズナリで2018年4月13〜22日に上演される『妄想先生』に出演させて頂くことになりました!
pureomu-hp-mousou1.jpg

どうやら学校が舞台のようです。
私は14日に観に行きますが、本番を観る楽しみが薄れないよう、坊守から台本やストーリーは聞かないようにしています。聞かないようにはしているんですが、小声でセリフの練習をしたり動きを確認したり、なんとなく雰囲気が伝わってきます。
最近、ふと見るとファイティングポーズをとったりしています。坊守よ、一体どんな役をするのだ?

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こちらは裏面。
中央の「保谷果菜子」が坊守の芸名です。

あと中島淳彦さんが落語家の春風亭昇太さんと親しく、期間中に舞台のセットを使った落語の日があったり、声の出演もしているとか…

今回もなかなか楽しみな感じです。
お芝居がお好きな方、ぜひ下北沢にお出かけください。
もし「行ってみようかな〜」という方は、ワタクシまでご一報頂ければチケットをご用意いたします。
bouzu@sd5.so-net.ne.jp

坊守ブログ
http://kanako3.blog.so-net.ne.jp/2018-02-26

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2018年4月号 [和庵だより]

◇ 「大丈夫?」の使いかた ◇

 ある記事で「大丈夫ですか?」という問いかけは、大丈夫ではなくても「大丈夫です」と答えざるを得ない、いわば暴力性がある言葉だ、と書かれていました。
 暴力性というと言葉が強烈ですが、確かに「大丈夫ですか?」と聞かれて「大丈夫じゃありません」と答えるのは、かなりハードルの高いことです。

 私が所属し活動する「自死・自殺に向き合う僧侶の会」に、救護班として毎年協力してくださっている牧師で医師のHさんは「追悼法要の時、具合の悪そうな人がいたら『大丈夫ですか?』と声をかけないでください」と仰います。

 何故かというと、そう問いかけられて「ダメです」と答える人はかなり危険な状態にある場合がほとんどで、逆に言えば救急車を呼ぶようなレベルの人でないと「ダメです」とは口にしないというのです。
 もっと具体的に「ちょっと救護室で休みましょう」とか「水を持ってきましょう」と言葉をかけるべきで、これはもちろん追悼法要だけでなく、普段から意識していて良いことです。

 このように何気なく使っていても問題が生じてしまう言葉として他に「頑張って」があります。頑張る余力がある人に使う分には問題ありませんが、うつ病などの方に「頑張って」と言うのは、その人の頑張りを否定するものとして、最近では気をつけるべきという認識が広まりました。
 「頑張って」の次は「大丈夫」の使いかたに気をつけ、より相手に寄り添う言葉をかけられるようになりたいものです。

◎下北沢ザ・スズナリ『妄想先生』 駅出口の注意について
先月号でお芝居のご案内をいたしましたが、駅の大改修があり、今まで劇場最寄り出口だった南口が廃止されました。今後の最寄り出口は北口ですので、どうぞお気をつけください。

△ お 知 ら せ △
◎柴又帝釈天 いのりんぴっく 4月7日(土)
寅さんで有名な柴又帝釈天、実は日蓮宗の題経寺というお寺。そちらで「いのりんぴっく」という花まつりの行事があり、「死の体験旅行」でお招き頂きました。

◎坊守出演舞台 プレオム劇『妄想先生』観劇会 4月14日(土)14時の回
4月14日の昼公演の観劇会、駅集合の方は「北口」に集合場所が変更になりましたので、お気をつけください。別の日程ご希望の方も、どうぞお寺までお申し込みください。

◎兵庫県福祉センターにて「死の体験旅行」 4月21日(土)
兵庫県の社会福祉/介護福祉などの会にお招き頂きました。日帰りの強行軍です。

◎愛知県小牧市の寺院にて 「恵信尼ものがたり」4月29日(日)

◎神奈川区の寺院にて 「恵信尼ものがたり」5月3日(木祝)13時

◎寺社フェス向源 中目黒 正覚寺さまにて 5月5日(土祝)

◎三浦霊園 合同墓 倶生の碑 墓参&バスツアー 5月20日(日)
例年4月上旬に開催しているバスツアーですが、今年は5月20日に開催いたします。
詳しくは別紙ご参照の上、どうぞお気軽にお申し込みください。

◎ひとり暮らしの会 なごみ庵にて 5月29日(火)11時

◦死の体験旅行 4月23日(月)19時 豊島区 金剛院
◦自死ご遺族分かち合い 4月26日(木)10時30分 築地本願寺
◦神之木地区センター写経会 毎月第1・3火曜18時30分(変更の場合あり)

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耳に十四の心のヒダ [カウンセリング]

あるニュースが目に留まりました。
「80歳の盲目の男性、刃物を持ち役所へ」

どういうことだろうと思い記事を読むと、以下のような内容でした。
事故により15歳で視力を失った男性。
その後、努力して鍼灸師となり、結婚もして穏やかに暮らしていた。
しかし妻に先立たれ、その上75歳ごろに難聴を発症した。
公営住宅に移ることになったが、転居や公共料金の手続きが思うようにいかない。
そんな状況で募りに募った悲しみや怒りが、刃物を持って役所に行くという行動に走らせた。
男性は誰かを傷つけるつもりではなく、「自殺しに行ったんですよ」と語ったという。

もちろん男性の行動は褒められたものではありませんが、その人生を知ると、どこかで違う道に進むことは出来なかったのだろうかと感じます。そしてその道は、ほんの小さな支えで見いだされ得るのだと思います。

記事の最後にこうありました。
盲目の男性も逮捕後に精神科を受診させられたが、問題はなかったという。その際、医師は話にじっくり耳を傾け「いろいろ経験したんですね」と共感してくれた。
「十数年ぶりに人の温かさに触れて心がじんわり熱くなった。地獄に仏とはこのことだなぁ」。つかの間、光が差した気がした。
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医師は相手の話を聴き、そして口にした「いろいろ経験したんですね」という、ほんの僅かなひと言が、男性に「地獄に仏」とまで思わせたのです。


私がカウンセリング、傾聴と出逢ったきっかけは、カウンセラーの富田富士也先生でした。
子ども家庭教育フォーラム

講義の中で富田先生は「聴くという字は、耳に十四の心と書きます。人の話を聴くというのは、自分の心に多くのヒダを作って、そのヒダに相手のやるせない気持ちを染み込ませていくのです」と仰いました(だいぶ前の記憶なので、詳細は異なるかもしれません)。

この男性のそばに、心の多くのヒダを持つ方がいらしたら、この事件は起こらなかったでしょう。
いえ、これほどまでに悲しみや怒りを募らせることも無かったかもしれません。

そういった人との出会いは縁です。
私も縁に導かれて、どなたかのやるせない気持ちを聴けるようになりたいと願っています。

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9年ぶりの朝日新聞「ひと」 [死の体験旅行]

2018年3月27日の朝日新聞「ひと」欄に、私に関しての記事を掲載して頂きました。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13421638.html?_requesturl=articles%2FDA3S13421638.html&rm=149
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最近はどうしても「死の体験旅行」に関する取材が多く、今回も記事の中心はそれについてでしたが、それでも題どおり「ひと」に焦点をあてる記事ですので、一般家庭出身であること、仏教を伝えたいという思いが原点であること、なごみ庵を開いたこと、自死遺族支援などについて書いて頂きました。

「ひと」欄といえば、実は9年ぶりの掲載です。
とは言っても前回は私ではなく、妻の芝居についてでした。
small朝日新聞 ひと 智子.jpg
(妻に忖度して年齢は隠してあります(笑))

だいぶ間は空きましたが、新聞の同じ欄に、夫婦で別々の内容で掲載して頂いたなんて、なんだか嬉しいです。
「おてらしばい」については、妻のHPをご覧ください。
http://kanako3.blog.so-net.ne.jp/

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「頑張って」の次は「大丈夫」 [その他色々]

ふと、リンク先の記事が目に留まりました。
「若者の「大丈夫ですか?」に67歳アナは暴力性感じる」

要約すると、フリーアナウンサーの梶原しげるさんが「最近は『大丈夫ですか?』という言葉があらゆる場面で使われるが、この言葉をかけられると、大丈夫じゃなくても『大丈夫です』と答えるほかない、暴力性を孕んだ言葉である」という内容です。
スクリーンショット 2018-03-26 03-26 18.48.58.png
「大丈夫」という言葉はよく使われがちですし、発する方は梶原さんが考えるようなことを深く思わず使っているのでしょう。少し極端なご意見な気もしますが、頷ける面も大いにあります。

私が所属する「自死・自殺に向き合う僧侶の会」で、毎年12月1日に自死者追悼法要が執り行われます。そこで毎年救護班としてお力添えを頂くのが、牧師であり医師でもあるHさん。

Hさんは毎年「具合の悪そうな人がいたら『大丈夫ですか?』と声をかけないでください」と仰います。もちろん、体調の悪そうな人を、見て見ぬふりをしろという話ではありません。

「『大丈夫ですか?』と声をかけて『ダメです』と答える人は、救急車を呼ぶようなレベルに至っている場合が多い。そこまで重い症状ではない人は『大丈夫です』と答えてしまう。
だから声かけをする時は『ちょっと救護室で休みましょう』とか『水を持ってきましょう』とか、具体的な内容を口にしなくてはいけない」ということなのです。

それ以来、私も日常的に「大丈夫ですか?」という言葉を使わず、体調の悪そうな方、困っていそうな方には具体的に声をかけるようにしています。しかしそう意識していても咄嗟に出てきそうになることもありますから、よっぽど染みついているのでしょう。


他にも私たちに染みついている言葉は「頑張って」です。
もちろん、頑張る余力のある人、応援を力に変えられる人に言う分には問題ありません。
しかし心身に不調を抱えている人、特にうつ病などの方にこの言葉をかけると「今でも必死に頑張っていて、それでも結果が出ない…あなたの『頑張って』という言葉は、自分の今までの頑張りを否定しているように聞こえる…」と受け止められてしまう可能性が高いのです。
ですので時と場合に応じて控えるべき言葉であり、このことはかなり広まってきました。


「頑張って」も「大丈夫?」も使いやすい言葉ですし、口にする側に悪意なんてありません。
けれど、相手に対する応援や善意が、悪く受け止められたり空回りしないためにも、アタマをもうひと回転させ相手に寄り添う言葉を選びたいものです。

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2018年3月の法話 [月々の法語]

今年は親鸞聖人のお言葉を、弟子の唯円(とされています)が聞き書きをした『歎異抄(たんにしょう)』を題材としてお話しさせて頂いています。
スクリーンショット 2018-03-13 03-13 21.39.22.png

第二条は、本文がかなり長くなっていますので、2回に分けようかとも思ったのですが、全員の方が3月4月と必ずいらっしゃれるわけではないので、頑張ってお話しをさせて頂きました。


壮年時代を関東で布教して過ごした親鸞聖人は、晩年生まれ故郷の京都に帰られます。
その親鸞聖人の元に、関東の門弟が大変な苦労をしながら訪れ、どうしても師に尋ねたい疑問をぶつけます。それは「本当にお念仏だけで良いのでしょうか?」という問いでした。

親鸞聖人が説くのは「ただただ、お念仏だけで良いのです」という教え。
弟子たちも、面と向かって言葉を聴いているうちは安心していられたのでしょうが、離れて暮らすようになり、「本当にお念仏だけで良いのだろうか、他に何か修行をしなければいけないのではないだろうか」と不安になったのでしょう。

その弟子たちに親鸞聖人は「おのおの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし…」と、非常に丁寧な言葉で迎えます。
「私は1人の弟子も持たない」と言い、また念仏者を「御同行、御同朋」と仰った親鸞聖人の平等の姿勢が表れています。

しかし疑義に対しては一切おもねることなく、「そのような疑問は、大きな誤りだ」と応えます。
そして「念仏で救われるのか地獄に堕ちるのか私は知らない。私はただ師である法然上人の言葉を信じているだけで、たとえ騙されていたとしても後悔しない」とまで言いきります。

おそらく弟子たちは騒然としたことでしょう。
動揺する彼らを前に、親鸞聖人は続けます。
「阿弥陀さま、お釋迦さま、中国の善導大師、法然上人と綿々と受け継がれてきた教えが間違っているはずがあるだろうか。そして私はそれをそのまま皆さんにお伝えしています」と。

何かを「信じる」ということは、ただ理由も無く信じるわけではなく、しかし一度信じたからには「地獄に堕ちても後悔はしない」という姿勢で信じきることが大切なのだと教えられます。


注:少し大きな本屋さんに行くと、歎異抄に関する本がたくさん並んでいて、どれを選べば良いか迷ってしまうかもしれません。中には偏った内容のものもありますので、岩波文庫、角川文庫、講談社などメジャーな出版社が出しているものや、本願寺出版が出しているものがお勧めです。
また五木寛之さんの「私訳 歎異抄」(PHP文庫)も読みやすいかと思います。

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不安に寄り添う [その他色々]

なごみ庵のご近所のOさん。
最初の来庵はお父さまとお嬢さんで、お母さまが危篤というご相談でした。

この種の相談は、その後体調が回復して「杞憂でしたね」ということも少なくありません。
しかしOさんの場合は本当に数日後にお母さまが亡くなり、事前に相談していた通りにお通夜・ご葬儀をさせて頂きました。


1年半後、今度はお父さまが危篤になり、お嬢さんが来庵されました。
そして今回も数日後、亡くなったと連絡があったのです。
前回はお父さまと一緒に母親を見送ったのですが、今回はお1人で、とても心細そうなご様子でした。

亡くなったその日、前回と同じ葬儀社にご遺体が運ばれることになり、近所ですので私もその車に飛び乗りました。
枕経をお勤めして失礼しようかとも思ったのですが、心細そうなOさんが気がかりで、葬儀社と打ち合わせをする間、ずっとご一緒させて頂きました。

葬儀社の方はさぞかし話しにくかったと思います。
後ほどお詫びを申しますと「ご住職がご一緒というのは初めてですが、お施主さまも心強かったと思います、有り難うございました」と仰って頂きました(まあ「邪魔だから帰れと思いました」とは言えませんものね(笑))。

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帰り道、Oさんからも「とても心強かったです」と仰って頂きました。
こちらは、1人で全てを決めるというのは不安もあるでしょうから、本心からの言葉かと思います。
そして数日後、無事にお通夜と葬儀をお勤めさせて頂くことができました。


行政書士の勝桂子さんが書かれた『聖の社会学』にこんな事例が紹介されていました。(電子版での取り扱いです)


聖の社会学 (イースト新書)

聖の社会学 (イースト新書)

  • 作者: 勝桂子
  • 出版社/メーカー: イースト・プレス
  • 発売日: 2017/04/09
  • メディア: 新書


1人暮らしの祖母と、都会で働く孫(間の親は亡くなっています)。
祖母が施設に入ることになり、施設から「お孫さんだけでなく、近隣ですぐに連絡が取れる人を知らせておいてほしい」と言われますが、親戚と疎遠で頼める人がいない。
法要の件もあって菩提寺の住職に相談すると、その住職が連絡先を引き受けてくれた。

これを読んで、お寺と檀家さんの関係性は、お店と顧客という関係に留まらず、半ば親戚のような関係性も持ち得るのだということに気づかされました。

今回の私の行動も、やはりこれに通じるものがあったように思います。
核家族化と高齢化が進む日本社会ですから、今後はこういった要望も増えるのではないかと思いますが、少しでもご縁の方の不安を和らげられるよう、考えていきたいと思います。

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