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水子供養について [その他色々]

先日、水子供養についてご相談の電話がありました。

お腹の中に赤ちゃんを授かったものの、この世に生まれることなく流産・死産をしてしまった場合「水子(みずこ)」と呼ばれます。その水子に対して、どうか安らかに成仏して欲しいと願い法要をする事を「水子供養」と言います。

でも実は、浄土真宗では水子供養をあまりいたしません。連絡頂いた方もちゃんとそれを知っておられたのですが、それでも気持ちの上でお参りをしたい、との事でしたので、なごみ庵においで頂きました。
そしてご夫婦としばらくお話しをして、その上で法要をお勤めし、もちろん法話もさせて頂きました。


さて「浄土真宗では水子供養をしない」と上述しましたが、水子を軽視するという意味ではありません。
理由のひとつは、水子だけを特別にお参りする、という考え方をしない事。
もうひとつは、そもそも「供養」とは亡き人が救われておらず、あの世で苦しんでいるという前提に立って、その苦しみの軽減を目的としています。

浄土真宗では、亡き人は1人も漏らさず阿弥陀仏に救われ、仏となって浄土に往っていらっしゃる、と考えますので、水子に限らず「供養」という考え方をしないのです。

ですので浄土真宗において「水子法要」の意味は「この世に生まれずに亡くなった水子を縁として、いのちの儚さ尊さを感じ、仏さまの教えに導かれてゆく法要」となるでしょうか。

最後に、ひとつの短歌を紹介します。

 夢の世に あだに儚き 身を知れと
        教えて還る 子は善知識

※善知識=仏教の師匠、また自らを仏道に導いた出来事

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コメント 5

チェルニー大尉

>ボーズ様
私の実家にはペット供養の依頼があり、私が読経を
勤めました。
ペットは家族ですから、飼い主の方にしてみたら子どもと
同じなのでしょう。

水子とペットを同列に語ることはできませんが、遺族の感情や
時代の変化による門徒や信者の方の依頼には可能な範囲で
対応するのが現代の宗教(真宗はもとより、それ以外の宗派の
仏教でも、神道でも、キリスト教でも)の存在意義につながると
私は思っています。
by チェルニー大尉 (2010-10-12 02:13) 

チェルニー大尉

上の誤記修正
誤:子どもと同じ
正:子どもに近い感覚
by チェルニー大尉 (2010-10-12 02:30) 

ボーズandカナコ

>チェルニー大尉さん
遅い時間に書いた記事に、一晩でコメント2つ?と思ったら、2つともチェルニーさんでしたか (^_^;)

そうですね、ペットの法要をして欲しい、という依頼もありますね。
たとえ人間の法要でも、単に義務感や親戚の手前などで、形だけ勤めるのであれば、そこに学びは無いかもしれません。

またペットの法要であっても、その死を悲しみ、そこから何か気付きを得る事が出来れば、そのペットも「善知識」になるのだと思います。
by ボーズandカナコ (2010-10-12 08:26) 

りょうた

私は小学校2年生のときに母がトイレで血だらけになって
流産しているのを見てけっこうトラウマになっているところがあります。(親子関係)
そんなで得度してからいろいろ経験して気づかせていただき少しは考えるところができました。(いまだにわだかまりが深層心理の中にあるそうですが)
供養という形のあるもので心が落ち着いて気づきになればそれでもいいのかなと思ったりしますが。
いかがでしょうか
by りょうた (2010-10-12 16:18) 

ボーズandカナコ

>りょうたさん
そ、それは… (-_-;)
わずか8歳でショッキングなシーンに出くわしましたね。

水子だけでなく、色々スピリチュアルな悩みでお寺を訪れる方がおります。まずは法要を勤め、落ち着いてからお話しを伺うという進め方をしています、私。
by ボーズandカナコ (2010-10-12 19:35) 

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