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吉田沙保里選手の自責の言葉を否定してはいけない [カウンセリング]

2016年8月19日、起床し朝のお経を勤め、そそくさとテレビを点けてことばを失った。
そこには「吉田沙保里、銀メダル」という言葉が映し出されていたからだ。

前日夜には五輪三連覇、200連勝を超える実力を遺憾なく発揮し、3試合連続の完封。「確実」ということは有り得ないが、これほど金メダルに確実性の高い選手は他にいないと思っていた。

近代オリンピックの歴史で、4連覇はわずかに3人。前日に伊調馨選手が4人目、しかもロシアの英雄アレクサンダー・カレリン選手でも為し得なかった格闘技初の四連覇を達成した時点で奇跡は起こっていたのかもしれない。

2日続けての奇跡が起こるだろうと思っていた私の目に、すぐに信じることの出来ない吉田選手の涙のコメントが何度も画面に繰り返されていた。


吉田選手は繰り返し、自責と謝罪の言葉を連ねていた。その悲痛な表情を見て私も涙があふれてきた。充分過ぎる戦績と、重過ぎる責任を背負った彼女を責める者など誰もいない。誰もがその刻苦を労い、功績を讃え、与えられた勇気に感謝の言葉を贈るだろう。

けれど、吉田選手が口にした、自責や謝罪の言葉を「そんなことはありませんよ」と言ってはいけないと思う。なぜなら彼女は、人生を全てかけて挑戦し求めていた結果が、その両手から滑り出してしまったからだ。誰にも想像できないほどの巨大なグリーフ(喪失悲歎)を得たのだ。

自責と謝罪の言葉は、そのグリーフから出てきたものだと思う。だから「そんなことはありませんよ」「立派な戦いでした」「自分を責めないで下さい」という思いやりから発せられることばは、実は吉田選手の「今ぐらいは嘆き悲しみたい」という気持ちを否定することになってしまうのではないだろうか。

スクリーンショット 2016-08-19 08-19 21.25.32.png
仏教には「同悲」や「同治」という言葉がある。相手と同じ気持ちになって寄り添い、相手の気持ちを肯定するアプローチだ。もし自分が吉田選手に会えるとしたら、「私も悔しかった、悲しかった」という気持ちを胸に抱いて、ただただ寄り添いたいと思う。

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和田隆恩

素晴らしい文章です。

拙寺の寺報に転載させていただいてもよろしいでしょうか?
by 和田隆恩 (2016-08-30 14:55) 

ボーズandカナコ

和田さま
お返事が超遅くなってすみませんでした m(_ _)m
メッセージいたします。
by ボーズandカナコ (2016-12-07 01:11) 

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