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2017年3月の法語 [月々の法語]

一念慶喜するひとは 往生かならず さだまりぬ
People who attain the one thought-moment of joy, their birth becomes completely settled.

今年の法語カレンダーは、2009年以来8年ぶりに、親鸞聖人の和讃(わさん)が題材になっています。和讃は七五調の和語の歌で、平安時代に流行した「今様(いまよう)」と形式は同じですが、仏・法・僧伽を讃嘆したものが特に「和讃」と呼ばれます。
また、カレンダーでは4行ある和讃の2行が記されていますので、まずは全体像をご紹介します。

若不生者の誓いゆえ 信楽まことに時至り
一念慶喜するひとは 往生かならず さだまりぬ

<ことばの意味>
「若不生者の誓い」とは阿弥陀如来の四十八願 第十八願にある「若不生者 不取正覚(もし浄土に生まれることを望んで、それが果たされない者がいれば、私は悟りに至ることはない)」という部分を指します。
「信楽」は、その阿弥陀仏の誓いを深く信じて疑わないこと。
「一念慶喜」は、阿弥陀仏を信じる心が起こり、喜びが湧き上がることです。
「往生」は浄土に往って、仏として生まれることです。

<現代語訳>
迷える人を救い得なければ、我も仏にならないとの阿弥陀仏の誓願の故に、ようやく信心の開ける時がめぐり来て、信じ得た喜びにひたる人は、浄土への往生が誤りなく決定している。


今月の法話会は、東日本大震災の七回忌法要を合わせてお勤めすることになりました。言うまでもなく多くの犠牲者が出て、いまだに2500人以上の方が行方不明という大災害でした。
非業の死を遂げたり、遺体すら見つからない場合、関係者や遺族は「亡き人は苦しんでいるのではないか、さ迷っているのではないか、成仏できないのではないか」という思いを抱く場合があると思います。東北の大学の学生が書いた「被災地の幽霊」という論文も注目を集めましたが、仏教ではどう説いているのでしょうか。


阿弥陀如来の誓いのうち、最も大切な第十八願には「私(法蔵菩薩=阿弥陀仏の前身)が仏になる条件が整った時、人々が私の国(極楽浄土)に生まれたいと願って私の名を呼び、もしそれが果たされないならば、私は仏に成ることはない」と書かれています。

「名を呼び」というのは「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えるという行為を指します。つまり、難しい修行などが出来なくても、お念仏を称えた者を必ず救うと阿弥陀仏が誓われているのです。

となると、「亡くなった方は仏教徒というわけではなく、念仏を称えたこともないだろうから、成仏できていないのだろうか」と疑問に思うかもしれません。
しかし私はそうは思いません。「全ての生けとし生ける者を救いたい」と願った阿弥陀仏が、永遠にも近い時をかけて熟慮し修行なさった成果が、お念仏の有無で左右されるでしょうか。私はお念仏は絶対的に必要な条件という訳ではないと思っています。生命を全うし、安らかな世界に旅立ちたいという根源的な思いを、阿弥陀さまは汲み取って下さるのではないでしょうか。

であれば、仏教やお念仏にご縁が無いまま亡くなった方々も、苦しんだりさ迷ったりしているのではなく、ちゃんと成仏なさっていると私は受け止めています。

仏教では「逮夜(たいや)」という考え方があります。ご命日の前夜を意味する言葉ですが、命日と同等以上に重んじられ、逮夜に法要をする場合も多かったようです。今日の法話会は、東日本大震災の逮夜、3月10日にあたります。多くの犠牲者を偲びつつ過ごす一日にしたいと思います。

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