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耳に十四の心のヒダ [カウンセリング]

あるニュースが目に留まりました。
「80歳の盲目の男性、刃物を持ち役所へ」

どういうことだろうと思い記事を読むと、以下のような内容でした。
事故により15歳で視力を失った男性。
その後、努力して鍼灸師となり、結婚もして穏やかに暮らしていた。
しかし妻に先立たれ、その上75歳ごろに難聴を発症した。
公営住宅に移ることになったが、転居や公共料金の手続きが思うようにいかない。
そんな状況で募りに募った悲しみや怒りが、刃物を持って役所に行くという行動に走らせた。
男性は誰かを傷つけるつもりではなく、「自殺しに行ったんですよ」と語ったという。

もちろん男性の行動は褒められたものではありませんが、その人生を知ると、どこかで違う道に進むことは出来なかったのだろうかと感じます。そしてその道は、ほんの小さな支えで見いだされ得るのだと思います。

記事の最後にこうありました。
盲目の男性も逮捕後に精神科を受診させられたが、問題はなかったという。その際、医師は話にじっくり耳を傾け「いろいろ経験したんですね」と共感してくれた。
「十数年ぶりに人の温かさに触れて心がじんわり熱くなった。地獄に仏とはこのことだなぁ」。つかの間、光が差した気がした。
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医師は相手の話を聴き、そして口にした「いろいろ経験したんですね」という、ほんの僅かなひと言が、男性に「地獄に仏」とまで思わせたのです。


私がカウンセリング、傾聴と出逢ったきっかけは、カウンセラーの富田富士也先生でした。
子ども家庭教育フォーラム

講義の中で富田先生は「聴くという字は、耳に十四の心と書きます。人の話を聴くというのは、自分の心に多くのヒダを作って、そのヒダに相手のやるせない気持ちを染み込ませていくのです」と仰いました(だいぶ前の記憶なので、詳細は異なるかもしれません)。

この男性のそばに、心の多くのヒダを持つ方がいらしたら、この事件は起こらなかったでしょう。
いえ、これほどまでに悲しみや怒りを募らせることも無かったかもしれません。

そういった人との出会いは縁です。
私も縁に導かれて、どなたかのやるせない気持ちを聴けるようになりたいと願っています。

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9年ぶりの朝日新聞「ひと」 [死の体験旅行]

2018年3月27日の朝日新聞「ひと」欄に、私に関しての記事を掲載して頂きました。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13421638.html?_requesturl=articles%2FDA3S13421638.html&rm=149
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最近はどうしても「死の体験旅行」に関する取材が多く、今回も記事の中心はそれについてでしたが、それでも題どおり「ひと」に焦点をあてる記事ですので、一般家庭出身であること、仏教を伝えたいという思いが原点であること、なごみ庵を開いたこと、自死遺族支援などについて書いて頂きました。

「ひと」欄といえば、実は9年ぶりの掲載です。
とは言っても前回は私ではなく、妻の芝居についてでした。
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(妻に忖度して年齢は隠してあります(笑))

だいぶ間は空きましたが、新聞の同じ欄に、夫婦で別々の内容で掲載して頂いたなんて、なんだか嬉しいです。
「おてらしばい」については、妻のHPをご覧ください。
http://kanako3.blog.so-net.ne.jp/

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「頑張って」の次は「大丈夫」 [その他色々]

ふと、リンク先の記事が目に留まりました。
「若者の「大丈夫ですか?」に67歳アナは暴力性感じる」

要約すると、フリーアナウンサーの梶原しげるさんが「最近は『大丈夫ですか?』という言葉があらゆる場面で使われるが、この言葉をかけられると、大丈夫じゃなくても『大丈夫です』と答えるほかない、暴力性を孕んだ言葉である」という内容です。
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「大丈夫」という言葉はよく使われがちですし、発する方は梶原さんが考えるようなことを深く思わず使っているのでしょう。少し極端なご意見な気もしますが、頷ける面も大いにあります。

私が所属する「自死・自殺に向き合う僧侶の会」で、毎年12月1日に自死者追悼法要が執り行われます。そこで毎年救護班としてお力添えを頂くのが、牧師であり医師でもあるHさん。

Hさんは毎年「具合の悪そうな人がいたら『大丈夫ですか?』と声をかけないでください」と仰います。もちろん、体調の悪そうな人を、見て見ぬふりをしろという話ではありません。

「『大丈夫ですか?』と声をかけて『ダメです』と答える人は、救急車を呼ぶようなレベルに至っている場合が多い。そこまで重い症状ではない人は『大丈夫です』と答えてしまう。
だから声かけをする時は『ちょっと救護室で休みましょう』とか『水を持ってきましょう』とか、具体的な内容を口にしなくてはいけない」ということなのです。

それ以来、私も日常的に「大丈夫ですか?」という言葉を使わず、体調の悪そうな方、困っていそうな方には具体的に声をかけるようにしています。しかしそう意識していても咄嗟に出てきそうになることもありますから、よっぽど染みついているのでしょう。


他にも私たちに染みついている言葉は「頑張って」です。
もちろん、頑張る余力のある人、応援を力に変えられる人に言う分には問題ありません。
しかし心身に不調を抱えている人、特にうつ病などの方にこの言葉をかけると「今でも必死に頑張っていて、それでも結果が出ない…あなたの『頑張って』という言葉は、自分の今までの頑張りを否定しているように聞こえる…」と受け止められてしまう可能性が高いのです。
ですので時と場合に応じて控えるべき言葉であり、このことはかなり広まってきました。


「頑張って」も「大丈夫?」も使いやすい言葉ですし、口にする側に悪意なんてありません。
けれど、相手に対する応援や善意が、悪く受け止められたり空回りしないためにも、アタマをもうひと回転させ相手に寄り添う言葉を選びたいものです。

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2018年3月の法話 [月々の法語]

今年は親鸞聖人のお言葉を、弟子の唯円(とされています)が聞き書きをした『歎異抄(たんにしょう)』を題材としてお話しさせて頂いています。
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第二条は、本文がかなり長くなっていますので、2回に分けようかとも思ったのですが、全員の方が3月4月と必ずいらっしゃれるわけではないので、頑張ってお話しをさせて頂きました。


壮年時代を関東で布教して過ごした親鸞聖人は、晩年生まれ故郷の京都に帰られます。
その親鸞聖人の元に、関東の門弟が大変な苦労をしながら訪れ、どうしても師に尋ねたい疑問をぶつけます。それは「本当にお念仏だけで良いのでしょうか?」という問いでした。

親鸞聖人が説くのは「ただただ、お念仏だけで良いのです」という教え。
弟子たちも、面と向かって言葉を聴いているうちは安心していられたのでしょうが、離れて暮らすようになり、「本当にお念仏だけで良いのだろうか、他に何か修行をしなければいけないのではないだろうか」と不安になったのでしょう。

その弟子たちに親鸞聖人は「おのおの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし…」と、非常に丁寧な言葉で迎えます。
「私は1人の弟子も持たない」と言い、また念仏者を「御同行、御同朋」と仰った親鸞聖人の平等の姿勢が表れています。

しかし疑義に対しては一切おもねることなく、「そのような疑問は、大きな誤りだ」と応えます。
そして「念仏で救われるのか地獄に堕ちるのか私は知らない。私はただ師である法然上人の言葉を信じているだけで、たとえ騙されていたとしても後悔しない」とまで言いきります。

おそらく弟子たちは騒然としたことでしょう。
動揺する彼らを前に、親鸞聖人は続けます。
「阿弥陀さま、お釋迦さま、中国の善導大師、法然上人と綿々と受け継がれてきた教えが間違っているはずがあるだろうか。そして私はそれをそのまま皆さんにお伝えしています」と。

何かを「信じる」ということは、ただ理由も無く信じるわけではなく、しかし一度信じたからには「地獄に堕ちても後悔はしない」という姿勢で信じきることが大切なのだと教えられます。


注:少し大きな本屋さんに行くと、歎異抄に関する本がたくさん並んでいて、どれを選べば良いか迷ってしまうかもしれません。中には偏った内容のものもありますので、岩波文庫、角川文庫、講談社などメジャーな出版社が出しているものや、本願寺出版が出しているものがお勧めです。
また五木寛之さんの「私訳 歎異抄」(PHP文庫)も読みやすいかと思います。

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不安に寄り添う [その他色々]

なごみ庵のご近所のOさん。
最初の来庵はお父さまとお嬢さんで、お母さまが危篤というご相談でした。

この種の相談は、その後体調が回復して「杞憂でしたね」ということも少なくありません。
しかしOさんの場合は本当に数日後にお母さまが亡くなり、事前に相談していた通りにお通夜・ご葬儀をさせて頂きました。


1年半後、今度はお父さまが危篤になり、お嬢さんが来庵されました。
そして今回も数日後、亡くなったと連絡があったのです。
前回はお父さまと一緒に母親を見送ったのですが、今回はお1人で、とても心細そうなご様子でした。

亡くなったその日、前回と同じ葬儀社にご遺体が運ばれることになり、近所ですので私もその車に飛び乗りました。
枕経をお勤めして失礼しようかとも思ったのですが、心細そうなOさんが気がかりで、葬儀社と打ち合わせをする間、ずっとご一緒させて頂きました。

葬儀社の方はさぞかし話しにくかったと思います。
後ほどお詫びを申しますと「ご住職がご一緒というのは初めてですが、お施主さまも心強かったと思います、有り難うございました」と仰って頂きました(まあ「邪魔だから帰れと思いました」とは言えませんものね(笑))。

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帰り道、Oさんからも「とても心強かったです」と仰って頂きました。
こちらは、1人で全てを決めるというのは不安もあるでしょうから、本心からの言葉かと思います。
そして数日後、無事にお通夜と葬儀をお勤めさせて頂くことができました。


行政書士の勝桂子さんが書かれた『聖の社会学』にこんな事例が紹介されていました。(現在購入できないため、図書館にてご覧ください)


聖の社会学 (イースト新書)

聖の社会学 (イースト新書)

  • 作者: 勝桂子
  • 出版社/メーカー: イースト・プレス
  • 発売日: 2017/04/09
  • メディア: 新書


1人暮らしの祖母と、都会で働く孫(間の親は亡くなっています)。
祖母が施設に入ることになり、施設から「お孫さんだけでなく、近隣ですぐに連絡が取れる人を知らせておいてほしい」と言われますが、親戚と疎遠で頼める人がいない。
法要の件もあって菩提寺の住職に相談すると、その住職が連絡先を引き受けてくれた。

これを読んで、お寺と檀家さんの関係性は、お店と顧客という関係に留まらず、半ば親戚のような関係性も持ち得るのだということに気づかされました。

今回の私の行動も、やはりこれに通じるものがあったように思います。
核家族化と高齢化が進む日本社会ですから、今後はこういった要望も増えるのではないかと思いますが、少しでもご縁の方の不安を和らげられるよう、考えていきたいと思います。

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偉丈夫のグリーフ [その他色々]

ご両親の葬儀がご縁で親しくなったHさん。
体格も良く、ダンディにヒゲを生やしていて、いかにも偉丈夫といった趣です。
また、偶然にも同じ高校出身ということで、勝手に親近感を抱いています。

おととし、91歳でお父さまが亡くなられました。
最近では珍しいほどのご長寿というほどではありませんが、Hさんはお父さまの晩年に寄り添い、しっかりと看取られたご様子でした。

そして昨年の夏、一周忌にお伺いしました。
ふとHさんと2人きりになる瞬間がありましたが、その時ポツリと「1年経つんですけど、寂しさ、悲しさが増していくんですよね…」と仰いました。
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ご長寿の男親を看取った息子、しかも前述の通りの偉丈夫が、ストレートに悲しみを吐露されたことに内心驚きを覚えました。
同時に、私などには伺い知れない父子の豊かな関係性があったのだろうな、と想像をしました。

私は
父子として何十年も過ごされたのです、1年や2年で寂しさや悲しさが無くなるはずはありません。
何年も経って悲しさがぶり返すこともあります。
残された者が悲しんでいても笑っていても、亡くなった方は仏さまとして穏やかに見守ってくださっていますから、心配せず悲しい時には涙を流してくださいね。
とお伝えしました。

法事の後のバタバタした時間でしたので、じっくりと話すことができなかったのが残念ですが、また初夏のころにお会いすることになります。
その時にまた、少しでもお気持ちをお聴かせ頂ければ有り難いな、と思っています。

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インプット 2DAYS [その他色々]

日数が短い2月、しかも月末に連日で勉強会がありました (T_T)


1日目は2年ほど前に学んだリブオン主催「僧侶のためのグリーフケア講座in東京」のOB会。
一緒に学んだ臨済宗、窪田充栄さんのお寺が、本堂・客殿・庫裏ともに新築されたので、その見学も兼ねて駒込へ。

リブオン https://www.live-on.me
勝林寺 https://www.mannen-syourinji.com

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窪田さんは障害をお持ちのお子さんがいらっしゃるので、そこに目を向けた活動をされています。
写真はその一環で、車いすに載った恐竜が描かれたポスター。
車いすに乗っていることでハンデキャップを表し、様々な恐竜を描くことで「同じ恐竜でも、いろんな恐竜がいるんだよ」ということを表しているのだそうです。

他にもそれぞれの発表があり、卒業して2年間、皆さんがどういう活動をしてきたか、どうやって縁ある方々のグリーフに向き合ってきたかをお聴かせ頂きました。

う〜〜ん、皆さん頑張ってらっしゃいます!
私も触発され、改めてやる気が湧いてきました (^人^)


翌日は「未来の住職塾」1期生の勉強会…とは言っても何期生でも参加可でしたが、こちらは卒業後5年で、それぞれの「寺業計画」がどう進んだか、何が上手くいかなかったか、どれが成功したのかという発表がありました。
未来の住職塾 http://www.oteranomirai.or.jp

またその発表に対し、活発に質問やアドバイスが飛び交い、充実した時間になりました。
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写真は私の発表後に、浄土宗の井上広法さんがイチャモンを付けているところ(笑)
というのはウソで、アドバイスをして頂いているところです。


2日連続の学びは脳が疲れますね。
家の用事があって、2日間とも懇親会は参加できませんでしたが、それでなんとか体力がもったような気がします (^_^;) 

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