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2009年5月号 [和庵だより]

「鎌倉 建長寺」

 五月中旬、仏教伝道協会という団体主催の実践布教研究会という行事があり、参加をさせて頂きました。全国各地から集まった各宗派の僧侶や寺族六十数名は、神奈川区の孝道教団を見学後鎌倉の臨済宗建長寺に向かい、二泊三日の研修を行いました。

 真宗では坐禅などの、いわゆる「修行」という考え方が無く、私も坐禅初体験でした。普段接する機会の無い他宗派の僧侶たちとの交流も意義深いものでしたし、また講師陣も芥川賞作家の玄侑宗久師や『バカの壁』著者の養老孟司氏ら豪華なメンバーで、非常に内容の濃い三日間でした。

 そんな中、特に心に残ったのが食事の時間でした。禅宗では食事も修行の一環で、厳格な作法があります。そのひとつとして、食べる物の器を必ず持ち、それを音を立てないよう丁寧に置く、という作法がありました。
 食事の時間は、私語も含み一切無音で行われます。ただ二泊三日の研修ですので、担当の和尚が様々な説明や体験談をして下さいます。まだ若い和尚がおっしゃったのは…
「食べ物は、全て『いのち』そのものです。ですから何を食べるのでも不平を言わず、残さず全ていただく。そして食器は『いのち』を納めた器ですから敬意をもって丁寧に扱うのです。」という言葉でした。
 鯨飲馬食のこの身には、耳に痛い言葉を頂戴いたしました。


仏教のことば「禅」

 前述の通り、真宗では修行としての坐禅は行いません。ただ、広く仏教として見た場合、仏教をイメージさせるものとして坐禅は世界的にも有名ですし、今年は曹洞宗の開祖 道元禅師を主人公とした映画「禅」も公開されました。仏教やお寺に関心がない人でも、坐禅ならばやってみたいという方も多いかと思います。

 禅は、辞書によると「静慮」とも記され、また「精神を集中して無我の境地に入る事」とも記されています。つまりは姿勢を整え、呼吸を整え、静かに瞑想を深めてゆく事、と言えるのではないかと思います。
 一般には、座って行ういわゆる坐禅が知られていますが、実は禅は座っている時にだけ行うものではないようです。禅の修行者においては、座る時も立つ時も、歩く時も臥せる時も、全てが「禅」なのです。

 また禅は、お釈迦さまも行っていました。と言うよりも古代インドの出家者は、みな禅を行っていたようです。仏教では禅は九つの段階に分かれるとされ、当時尊敬を集めていた修行者たちは七つ目、あるいは八つ目の段階までは達していたようです。
 ちなみに七つ目は「全てを無とする境地」、八つ目は「全てを無とすると認識する己をも無とする境地」です。
 その先に、お釈迦さまが達した境地「滅尽定」があるのです。

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