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募金の意味 [その他色々]

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先日、初めて街頭募金活動をさせて頂くご縁がありました。
https://753an.blog.so-net.ne.jp/2018-08-31

1回か2回ぐらい「人から金を集めてないで、自分の金で支援すればいいじゃないか」なんて絡まれるかもしれないなと考えていたのですが、残念(?)ながら今回そういったことはありませんでした。

募金活動に対し、ときどきそんな意見を耳目にすることがあります。
しかし、少なくとも僧侶が行う募金活動に関しては「支援金を集める」ことだけが目的ではありません。
多くの人に善行をして頂くご縁を作る、というのが目に見えない目的だと思っています。


1人の人が1万円の寄付をすれば、それはそこで終わってしまいます。
でも募金活動で、たとえば3人の方が千円を入れ、10人の方が五百円玉を入れ、20人の方が百円を入れれば、33人もの方が「自分は被災地のために何かしたんだ」と思うことができます。

実際の例では、東日本大震災の一周年の際、横浜市営の関内ホールで行事を開催した時のことが思い出されます。
10万円ほどの経費がかかったと記憶していますが、264の席が満席になり、約20万円の募金が集まりました。
これも私が10万円を寄付すれば、それでおしまいになる話でした。
しかし264名の方が(全員かどうか分かりませんが)少しずつ出してくださった20万円は、264名の思いが込められています。


ニューヨークの元市長、ジュリアーニ氏の「割れ窓理論」は、1枚の割れた窓を放置しておくと、そこから街の治安が悪化していくというものです。逆を言えば、1枚の窓を入れ直し、ひとつのゴミを拾えば、街の治安が保たれることに繋がるいうことでしょう。

これは人の心にも当てはまると思っています。
道端でついゴミを捨てたり、困っている人を見て見ぬふりして通り過ぎれば、その人の心は少しずつ荒んでいくのではないでしょうか。

逆に、ゴミを拾ったり、重い荷物を持つ方を手助けしたり、募金箱に百円を入れたりすれば、少しずつ人の心は澄んでいくと思います。

少しずつ荒んだ心は、何か魔が差しそうになった時に後押しをするかもしれません。
しかし少しずつ澄んでいった心は、魔が差しそうになっても自分を引き止めてくれるということがあると思います。1人1人の変化はわずかでも、それが社会全体に広がれば大きな変化になるのではないでしょうか。

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