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2018年4月の法話 [月々の法語]

今年は親鸞聖人のお言葉を、弟子の唯円(とされています)が聞き書きをした『歎異抄(たんにしょう)』を題材としてお話しさせて頂いています。
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親鸞聖人、法然上人がいらっしゃった鎌倉時代から、お念仏の教えは誤解を招くことが多く、一時は『歎異抄』も「門外不出の書」として扱われていた時代もありました。

その中でも今回の第三条は「悪人正因」「悪人正機」と呼ばれ、もっとも誤解を招きやすい部分について書かれています。
なにしろ書き出しの一文が「善人でさえ浄土に往生することができるのだから、ましてや悪人は言うまでもない」となっているからです。

初めてこの文を目にした方はだいたい「えっ、逆でしょ? 誤植かな?」と思われるようですが、これで間違っていないのです。
「そんなバカな」と思われるかもしれませんが、親鸞聖人が仰る「善人・悪人」の意味が、私たちが一般的に使うそれと全く意味が異なっているのです。

一般的な「善人」
 社会のルールを守り、ボランティアなどの善い行いをする人
歎異抄での「善人」
 自分の力で悟りを開けると思い込み、阿弥陀仏に頼り切れない人

一般的な「悪人」
 法律や道徳を無視するような人
歎異抄での「悪人」
 自分の力の限界を悟り、仏さまに素直に委ねられる人

阿弥陀如来の救いの対象は、全ての生きとし生けるものです。
ですので、一般的な善人悪人も、親鸞聖人が仰る善人悪人も、全てが救いの対象です。
しかし歎異抄での善人は「自分でなんとかするから阿弥陀さんには頼らないよ!」と、仏さまに背を向けて逃げているような状態です。

反対に歎異抄での悪人は「自分ではもうどうしようもない、阿弥陀さん、よろしくお願いします」と仏さまに歩み寄っていくような状態です。

こう考えると冒頭の一文「善人でさえ浄土に往生することができるのだから、ましてや悪人は言うまでもない」は、
「逃げていく『善人』でさえ救われるのだから、仏さまに歩み寄る『悪人』は言うまでもなく救われる」と受け止めることが出来ます。


こう正しく理解できれば良いのですが、昔も、そしておそらく今も、字面だけを見て誤解する人は少なくありません。親鸞聖人の時代には「悪いことした方が救われるんだって、じゃあ夜討ち強盗にレッツゴー!」と蛮行に走る者もいたといいます。

情報を正しく受け止め理解する。
昔も、そして膨大な情報がとめどなく流れる現代はなお一層、真贋を見極めようとする姿勢が大切だと考えさせられます。

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