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静かに和する [その他色々]

私はもともと真宗高田派の僧侶としてお育てをいただきましたが、諸事情あって なごみ庵の宗教法人化のタイミングと前後して高田派を離れることになりました。

慈陽院なごみ庵は浄土真宗の単立寺院ということになりますが、そんなお寺にある方から大切な書が贈られました。
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右から左に「静和」と読みます。
浄土真宗の聖典類にこの言葉を見つけることができていませんが、「静かに和する」と読むのでしょうか。
なごみ庵を「和庵」と書く場合もありますので、「和」の文字が入ったこの書をお贈りいただいたようです。

そして左に縦書きで「鸞猷 書」と書かれています。
真宗高田派の第24世、鸞猷前法主の書かれたものです。

宗派によって最高位の僧侶の呼び方は異なりますが、高田派では「法主(ほっしゅ)」とお呼びし、また先代の法主を「前法主」とお呼びします。
宗派を離れた私に、なぜこの書をお贈りいただけたのでしょうか…

「色々なことがあって制度上は宗派を離れることになったが、私たちはあなたを同朋と思っている」
「お寺は単立になったけれど、高田派の心を忘れないでいてほしい」
そんな気持ちが込められているのではないか、と感じ胸が熱くなりました。

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2019年7月号 [和庵だより]

◇ ありがとう、ありがとう ◇

父のように慕っていた恩師の七回忌法要をお勤めさせていただきました。
私と同じく一般家庭出身で僧侶になったからか、私のことを気にかけてくれ、相談に乗ったり なごみ庵の法話会に駆けつけたりしてくれた方でしたので、なごみ庵が宗教法人化したことを報告するような気持ちで読経をいたしました。
笑い文字 ありがとう.jpeg

恩師の奥さまは川柳の先生をなさっていて、夫が亡くなり6年経ち同じ89歳になった今でも現役で指導をなさっています。川柳は俳句と同じ五・七・五の形式ですが、季語を用いるなどの約束事が無く、またシルバー川柳やサラリーマン川柳などコミカルなものも多くあります。

法要の際、ご自身の作品が掲載されている川柳の雑誌を頂きました。掲載されたそれぞれの作家の句が五首ずつほど掲載されていますが、奥さまの作品は全て七回忌を詠んだものでした。

その中で印象に残ったのは「七回忌 あなたの命 信じたい」という句です。あなた=夫は6年前に亡くなっていますので、その「命を信じたい」というのはどういうことでしょうか。

察するに、長く連れ添った「佳き人」との時間や思い出などを暖かく前向きなものとして捉え、また命を終えたあとに再会する世界があり、さらに亡き方が仏さまとなって見守ってくださっているという気持ちを表したものだと拝察をしました。


もう一句、「七回忌 ひたすらありがとう ありがとう」も印象的です。夫と連れ添った今までの歩み、子どもや孫たち、言葉にはしきれぬ数多くのものへ感謝を捧げているように感じられ、中句をあえて字余りにしているのが、感謝の深さ大きさを示しているようです。

「ありがとう」は「有ること難し」という涅槃経の言葉がもとになっています。こんな自分に良くしてくださって、という謙虚さと知恩の気持ちが形になったものです。法人化に際し、恩師や皆さまへの「有り難う」の気持ちを胸に、これからも歩んでまいります。


◎ お 知 ら せ ◎

◎宗教法人化のご報告と御礼
別紙の通り、なごみ庵が無事に宗教法人として認可をされました。
今年の報恩講はその記念行事を兼ねての開催としようと考えております。
12月8日(日)、場所は東神奈川駅/京急仲木戸駅に隣接する「かなっくホール」を予定しております。しばらく先になりますが、どうぞ今からご予定いただければ幸いです。

◎お盆のご案内 7月14日(日)・8月11日(日)両日とも10時30分より
6月号に同封の法名(戒名)用紙をご利用ください。欠席の場合は、ご縁の方の法名やお名前をお書きいただき、FAXやメールなどでお送りください。

◎盆おどり大会のお知らせ 8月17日(土)18時・18日(日)19時
なごみ庵に隣接する平川町北公園では、毎年8月のお盆時期の土日に、町内会の盆おどり大会が開催されています。住職・坊守も毎年参加して踊っていますので、ご一緒しませんか?
なごみ庵に荷物を置け、お手洗いもお使いいただけます。
希望者は、坊守が浴衣の着付けもいたします。

◦神之木地区センター写経会 7月2日(火)・16日(火) 18時30分
◦死の体験旅行 7月22日(水) 19時 豊島区 金剛院
        9月26日(木) 18時30分 神奈川大学 生涯学習講座
◦自死遺族の集い 6月27日(木)・7月25日(木) 10時30分 築地本願寺にて

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人生いろいろ、法事もいろいろ [その他色々]

ここのところ、印象に残る法事が続きました。
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最近は様々なご縁で法事などの依頼があります。「死の体験旅行」を受けた方だったり、なごみ庵の前を通って寺報を手に取ってくれた方だったり。
都市部では菩提寺の無い方も多いので、何か心の琴線に触れて選ばれるお寺である、というのも大切な要素だと感じます。


お母さまの一周忌をされた方。
菩提寺がなかったので、葬儀の時はとにかく葬儀社にお任せして、やって来た僧侶はとにかく事務的でわびしい気持ちになったそうです。流れで四十九日もお願いすると若いお坊さんが来て、細かい説明も寄り添う姿勢もなく、もうそのお寺に頼むのは絶対嫌だ、と感じたのだそうです。

そこで私のことを思い出し、相談をしてくれました。
ご相談や質問に答え、ではお願いしますと仰っていただき、ご自宅でのご法事。
会食もご一緒させていただきました。

人の気持ちを完全に理解することも、寄り添いきることも、できないことです。それでもできる限り理解しよう、寄り添う姿勢を持とう、説明すべきことは説明しよう、というのは私のモットーですし、当たり前のことだと思っています。

そうではない僧侶がいることもわかっています。しかしそれは、長い目で見れば自分の首を絞めることに繋がるし、せっかくお坊さんに法要を頼もうと思ってくれた方への裏切りだと私は思います。


お父さまの十七回忌をされた方。
お手伝いをしているお寺での十七回忌。参列者は故人の息子さんお1人でした。
いつもは読経後に法話をするのですが、1対1ですので法話ではなく、私も腰かけて対話形式の時間にしました。

現在、お母さまを自宅で介護しているので、他の家族は来られないで自分1人でお参りに来たこと。
十七回忌のお父さまも自宅で介護して看取ったこと。
大変なご苦労をされたであろうに、「最後は父の顔が仏さまのようだったんですよ」と仰るその方のお顔こそが仏さまのようでした。

会話を重ねていると、「読経の中でお焼香をして合掌すると、『助けて欲しい』という気持ちが湧いてきました。弱気になることができたんです」と仰いました。

「弱気になった」ではなく「弱気になることができた」という言葉に、その方がどれだけ頑張り続けてきたのか、そして手を合わせた時に少し心がほどけたのだな、と感じました。


法事は読経が中心です。
ただ、読経だけで終わってしまうのは、あまりに勿体ないことだと思います。
気持ちに耳を傾け、疑問に答え、そうしてこそ仏教を伝える機会が訪れるのでしょう。

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2019年6月の法語

無碍の光明 信心の人をつねに てらしたもう
Unhindered light constantly illumines the person of the entrusting heart.
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今年の法語カレンダーは親鸞聖人のさまざまな著書から言葉が引かれており、6月は『尊号真像銘文』からの一節です。

「尊号」とは「南無阿弥陀仏」などの文字で表された名号の本尊を指し、「真像」は七高僧などの絵姿を指します。そして「銘文」は、その名号や絵姿に書かれた文書のことで、それらをまとめたものが『尊号真像銘文』となります。

6月の言葉は浄土七高僧の第六組、源信和尚の著書『往生要集』に書かれているものですので、源信和尚の真像に添え書きされているものと思われます。

少し長くなりますが、『尊号真像銘文』から該当箇所を抜き出してみます。
「我亦在彼摂取之中 煩悩障眼雖不能見 大悲無倦常照我身」
「我亦在彼摂取之中」といふは、われまたかの摂取のなかにありとのたまへるなり。
「煩悩障眼」といふは、われら煩悩にまなこさへらるとなり。
「雖不能見」といふは、煩悩のまなこにて仏をみたてまつることあたはずといへどもといふなり。
「大悲無倦」といふは、大慈大悲の御めぐみものうきことましまさずと申すなり。
「常照我身」といふは、「常」はつねにといふ、「照」はてらしたまふといふ。無碍の光明、信心の人をつねにてらしたまふとなり、つねにてらすといふは、つねにまもりたまふとなり。
「我身」は、わが身を大慈大悲ものうきことなくしてつねにまもりたまふとおもへとなり。摂取不捨の御めぐみのこころをあらはしたまふなり、「念仏衆生摂取不捨」のこころを釈したまへるなりとしるべしとなり。

ご覧になって気づいた方もいらっしゃるかもしれませんが、浄土真宗でよく拝読される「正信偈」の一節とほぼ同じです。正信偈は親鸞聖人が記されたものですが、様々な経典や高僧が書かれた書物を徹底的に読み込み、そこから引用なさっていることが分かります。



<私のあじわい>

親鸞聖人の語録である歎異抄の後序に、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」という言葉があります。

阿弥陀如来が五劫もの永い時間をかけてお考えになった誓願は、よくよく考えてみると、ひとえにこの私、親鸞ただ1人のためのものであったのだなぁ」という意味になります。


阿弥陀如来はその全身である法蔵菩薩の頃、五劫の時間をかけて、一切の衆生をどのように救いとれば良いか思惟されました。

そして思惟の後、兆載永劫というさらに永い期間をかけて修行を完成されたと言われており、これらを合わせて「五兆の願行」と呼びます。


でも私は「阿弥陀さまのご苦労」と言われてもあまりピンと来ず、阿弥陀如来ともなればそれぐらいは平気でなさったのだろう、と漠然と捉えていました。


しかし最近、母の私に対する言動を見て、ふっと感じたことがありました。

母は認知症なので、同じ言葉を何度も繰り返します。私が母のところに行くと、必ず「元気か?」「風邪ひいてないか?」「寒くないか?」「暑くないか?」「心配ないか?」と何度も尋ねるのです。


小学生の時、「親という字は、親が子を心配して、木の上に立って見ている様子」と教わりました。

しかしもう40代半ばのいい大人を捕まえて「心配ないか」と言われても、いやいやそっちの方がよっぽど心配ですよと思うのですが、母に合わせて私も何度も「元気だよ、風邪ひいてないよ、寒くないよ、暑くないよ、心配ないよ」と応えます。


そのやり取りを繰り返しているうちに、ふっと「ああ、母が年老いて病気になってもまだ自分のことを気にかけ続けてくれているように、阿弥陀如来も長年の思惟とご修行でボロボロになりながらも、私たちのためにご苦労を重ねてくださったのではないだろうか」と感じたのです。


そして母から子への思い、特に認知症であればそこに思慮分別が入り交じる余地はなく、まさに「無碍の光明」、つまり遮るもののない光のような真っ直ぐな愛情となるでしょう。

そしてそれが「つねに てらしたもう」という言葉通り、常に私に向けられていると感じられます。


さらに今月の言葉では、その光は「信心の人」を照らすとあります。その部分の英訳「the person of the entrusting heart」を機械的に翻訳すると「常に心を委ねる人」となります。


親が子に無碍の愛情をかけると同時に、赤子は親に身も心も全て委ねます。そういった幸せな時間を過ごすことができれば、人は成長した後も心に芯を持つことができると思います。


また、そういった関係性を仏さまと築くことができれば、誰にも奪えない心の大黒柱となるのではないでしょうか。

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本願寺金沢別院での法話 [その他色々]

石川県金沢市にある浄土真宗本願寺派(お西)の金沢別院で、春から秋口にかけて開催されている「日曜法話の集い」にお招きいただきました。

未来の住職塾でご縁のあるOさんにお声掛けいただき、私のクセで後先考えずにOKの返事をしたのですが、昨年と一昨年の資料を後日送っていただくと……ヤバい (-_-;) 

私でも名前を知っているような高名な方々の名前が連なっており、半年以上前から緊張状態でした。


それでも受けてしまったものは仕方ありません。横浜から東京、そして北陸新幹線で金沢に。
金沢駅から徒歩10分ほど、金沢別院に到着してしまいました…
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少し早く着いたので境内を散策していると、真宗寺院には珍しいと思うのですが経蔵(多くのお経などが納められた建物)があり、これも真宗寺院には珍しく中には四天王の像などが配されている様子です。
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境内の散策を終え大きな本堂に。
私のふざけているような講題がデカデカとかかっています。
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こんなお題にも関わらず、120〜130名ほどの方が聴きに来てくださいました。
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何とか40分×2席の法話を終え、宿に移動してホッとひと息。
日帰りできないことはないのですが、坊守が金沢に行ったことがないというので同行して一泊します。

夜は金沢料理をいただき、翌日はベタですが兼六園に。
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時雨亭という建物で、しとしとと降る雨と美しい庭園を眺めながらお抹茶と和菓子。良い雰囲気……と思ったら雨足が強まり大雨になってしまいました (>_<)

その後は以前にも訪れた佛子園を訪問し、法話&観光&見学と中身の詰まった旅になりました。

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高座バトルwith春風亭昇々さん [その他色々]

2年半ほど前に中目黒の正覚寺で開催された高座バトルに登壇させていただきましたが、今回は恵比寿の寺子屋ブッダラボ・書坊での開催で、私としては2度目の挑戦です。
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ちなみに1回目の様子はコチラ
https://753an.blog.so-net.ne.jp/2016-11-20
https://753an.blog.so-net.ne.jp/2016-11-27

今回のお相手は若手イケメン落語家の春風亭昇々さん。
なごみ庵の行事でも女性陣からどよめきが上がったという好男子ぶりです。
そして高座バトルでは毎回テーマが選ばれるのですが、今回は「欲」となりました。

まずは昇々さんがテーマに沿った落語「湯屋番」で幕が開きます。
続いて私の法話は、まず欲と煩悩の関連性について触れ、また煩悩が非常に細かく分類されること、本来の仏教は煩悩を滅して悟りを得る道だと話を進めました。

また、浄土真宗の親鸞聖人は煩悩を滅することができないとお考えになったこと、煩悩は絶対悪ではなく科学医学の発達や人類の繁栄も煩悩があってこそという話、そこから親子の情愛などといった話をさせていただきました。

私の法話が終わると昇々さんとのクロストーク。
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私は自分の出番が終わりましたからね、ホッとしてトークを楽しみました。
けれど昇々さんはこの後、テーマとは関連しない落語をもう1つ、「天災」をご披露しました。

終了後ツーショット。
私は見えてませんでしたが、昇々さんこんなポーズしてたのか(笑)
なんだか顔の似てない弟のようです♡
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次回の高座バトルは2019年7月20日(土)16時から、出演者は落語家さんが桂宮治さん、僧侶が日蓮宗 久住謙昭さんです。ぜひぜひ足をお運びください (^人^)
https://www.machitera.net/events/temple_event_detail/?temple_event_detail_id=982

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宗教法人 倶生山 慈陽院 なごみ庵 [布教所日記]

宗教法人 浄土真宗 倶生山 慈陽院 なごみ庵
ご報告と御礼


なごみ庵が、ついにお寺になりました。
え? 前からお寺なんじゃないの? と思われましたでしょうか。
僧侶が住み、仏法を説いたり法要をしたりする場を「寺」と言いますので、その意味では平成18年4月6日に開所した時点で「寺」でした。

一方、宗教法人として公に認められるには超えなければならない多くのハードルがあり、様々な法人の中でも最難関クラスと言われています。
13年かけてそのハードルをクリアし、平成31年4月末に神奈川県知事より宗教法人の認可が下り、令和元年5月7日の日付で設立登記をすることができました。その日は令和になって最初の開庁日ですので、日本で令和初の宗教法人というオマケも付きました。
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今の時代、新しくお寺を建立しようとするのは珍しいことです。また様々な事情もあって、既存の宗派に属さない「単立」という形で進めてまいりましたが、宗派の後ろ盾がある場合よりもハードルはさらに高まります。
あまり前例も参考にできるものも無い中で、でも僧侶として一所懸命に精進していれば認められないはずが無い、という思いで手探りで進み続けてきました。

けれど真っ暗闇の中を独りで進んできたわけではありません。お気持ちを寄せ声援を送ってくださる多くの方々。高い志がありお互いに切磋琢磨しあえる仲間の僧侶たち。側にいて支え続けてくれている近しい人。そういった多くの方々が、時に灯火を点け、時に手を取って、私を導いてくださいました。

「寺宝」という言葉があります。お寺に伝わる貴重な仏像や文化財のことを指しますが、なごみ庵には当然歴史的なものはありません。しかし支えてくださる多くの人の縁が、なごみ庵にとっての寺宝です。また昨年12月、宗教法人化に賛同するとの旨を署名いただいた書類と葉書も、皆さまの気持ちが形となって表れた寺宝だと思っております。

法人化に伴い、名称の追加があります。これまでは「倶生山 なごみ庵」でしたが、法人として登記された名称は「慈陽院 なごみ庵」となります。「仏さまの悲が太の光のように、あまねく行き渡ってほしい」という願いを込めました。

全て書くと「宗教法人 浄土真宗 倶生山(ぐしょうさん) 慈陽院(じよういん) なごみ庵」と長くなりますが、お手紙などは「なごみ庵」で問題なく届きますのでご安心ください。

私が学生時代の流行り歌に「私にはスタートだったの、あなたにはゴールでも」という歌詞がありました。
私も宗教法人化はゴールではなく、ようやくスタート地点に立ったんだと受け止めています。今後も精進して参ります、どうぞお見守りいただければ幸いです。


合掌九拝

宗教法人 浄土真宗 倶生山 慈陽院 なごみ庵
住職 浦上哲也(釋勇哲)・坊守 浦上智子(釋智照)

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